ノーベル物理学賞にニューラルネットワークが選ばれた理由について、いろいろピント外れなことが記されているのも見ましたが、「検出装置」の基礎開発に対しての授賞という一貫性を持っています。

 すでに「機械学習によるデータ駆動科学測定」はノーベル物理学賞を複数出しています。

2017年の重力波検出
2020年のブラックホールの観測

 は分かりやすい例と思いますが、それ以外にも、様々な実験系でデータ駆動型のデータ検出はすでに一般化しており、これらに対する表彰圧力があるのは、ノーベル賞として伝統的な話に過ぎません。

 今年のノーベル物理学賞は、明らかに最終選考時点で

甘利俊一
ホップフィールド
福島邦彦
と ヒントン

 まで絞られていたはずです。物理学者であるホップフィールド博士に関しては、米国物理学会会長職などにもあったことから、様々な背後圧があったと考えられます。

 これに対して、甘利先生、福島先生は国際政治とは無関係の純然たる基礎研究者で、背後圧とは完全に無縁。ノーベル賞は分野違いとお考えですので、全く恬淡としておられます。

 とはいうものの、ノーベル財団もさすがに、授賞後お2人に言及しないわけにはいかず、当然ながらお名前に触れています。

 ここで、ノーベル賞の科学3賞が「3人まで」というとき、「ホップフィールド+甘利+・・・誰?」というとき、本当のパイオニアを選ぶのではなく、「ヒントン」という現実と政治を選んだ点を、私はノーベル賞選考の「現実との妥協」と見ないわけにはいきません。

 今回、ヒントン博士に授与しなければ、もう「ニューラルネット」への授賞はなく、ヒントン博士はノーベル財団と縁がないことになります。

 翻って、ジェフリー・ヒントン氏個人は、いかにもな英国紳士らしく、AIの持つ潜在的な脅威などにも積極的に言及、自由な発言のためグーグルを去るといった挙動も、今後のノーベル財団がAI界全体に働きかけるうえで「受賞OB」として抱え込んでおきたい人材になります。

 そもそもヒントン氏自身がグーグルで開発の前線に立っていたわけで、彼の学生だったイリア・サスケバー氏の(かつての非営利団体だった)OpenAIなどが「生成AIブーム」を巻き起こすなど、ヒントン氏の「受賞後」は、ストックホルムにとっても様々な意味で有益です。

 だいたい、ヒントンさんはまだ77歳で若くて元気です。

 甘利先生も福島先生もお元気で、プロジェクトをご一緒する甘利先生には来週も東京大学のある本郷まで出て来ていただくなど、活発に活動しておられますが、揃って88歳になられました。

 ヒントン氏よりシニアであるのは間違いありません。

 何であれ、真のパイオニアをスルーし、現実に流れた「ノーベル賞の汚点」は、それとして明記しておく必要があるように思います。

 ここでは、甘利さんらしい、素晴らしい、スパイスの利いた「もうちょっとだよなー、ディープラーニング」と、授賞後直ちに公開された甘利先生の祝辞をリンクしておきます。

 すでに甘利俊一、福島邦彦両博士は、ノーベル賞受賞者を超えた存在になっているわけです。

 古くはトーマス・エジソン(幾多の発明がありノーベル賞なら1ダースほど受賞して不思議ではない)、ジョン・フォン・ノイマン(言わずと知れたコンピューターの父)から、スティーヴン・ホーキング博士(逝去後に2020年、ロジャー・ペンローズが受賞)に至る「超ノーベル賞級」の殿堂に輝く、人類の科学史の星として記される存在になっている。

 私が一番強調したいのは、日本の若い世代に、いまAIとか生成システムとか言っているものの、主要な原点は実は日本に根があることです。

 米国などの無用に高価な押し売りなどどうでもよく、きちんと筋の立つ仕事を積み重ねていけば、いま日本の若い人たちのいる地点から、歴史に貢献する本質的な仕事が生み出していけるのだ、という手ごたえと足場の自覚を持ってほしい、というのに尽きます。

 および「今年のノーベル物理学賞は米、カナダの科学者に」といった見出しを出稿して何も考えない報道各社デスクは、頼むからその任から離れ、まともな分別のある人間に仕事をさせていただきたい。

 韓国などは、自国の科学者が大きな貢献をしているのに、ノーベル賞から外れた!となると社会運動が巻き起こりますが、今現在の日本国内の無風状態は何たることか?

 長年の読者はよくご存じの通り、私は右翼でもなく、リベラル側と見られることが多いですが、今回の噴飯モノと言うしかないノーベル物理学賞に、日本の国内メディアから社会的な声が一切上がらなかったのは、呆れるしかありませんでした。

 ノーベル財団は「不見識」です。

 しかし、日本社会とマスメディア全般は「無見識」つまり人類の科学的価値を見通す見識が「ゼロ」であると知れ、現在進行形で大変残念に思っています。

 ということで、本稿は英語版の出稿を編集部と相談し、広く国際社会に意見を問いたいと考えました。