政治化するノーベル賞と平和賞、文学賞

 2024年のノーベル平和賞は「日本原水爆被害者団体協議会」に授与されました。

 ノーベル平和賞はノルウェー国会が選び、オスロもストックホルムも決して表立って認めることはないでしょうが、私は「今年」の平和賞のこの選考の傍らに、日本に申し訳ないと(さすがに)考える、古くからの財団側スタッフの意向があるように見ています。

 例えば1968年、川端康成がノーベル文学賞を授与された理由を、ノーベル財団は「日本(人)の心の精髄を優れた感受性で表現する物語の巧みさ(“for his narrative mastery, which with great sensibility expresses the essence of the Japanese mind”)」と記している。

 なぜわざわざ1968年、「日本(人)の心」に配慮せねばならなかったのか?

 その理由の一つは 同年の物理学賞を受けたルイス・ウォルター・アルヴァレズへの単独授賞があります。

 彼は、1945年に広島に投下された原爆の起爆雷管部など、兵器としての心臓部を開発したのみならず、自ら飛行機に乗りたがり、8月6日「B-29」 に乗り込んで広島上空40キロほどの地点で、原子爆弾爆発の威力をラジオゾンデで測定しています。

 それら囲んでの記念写真なども残っており、帰りの機内から息子に手紙すら書いています。

 長崎の効果測定にも関わった人物であることが、エミリオ・セグレ博士の著書その他に活写されています。

「広島原爆を作るのみならず、投下側として効果測定に参加した物理学者」アルヴァレズ博士は戦後、素粒子原子核実験物理学に誰が見ても明らかな莫大な業績「も」ありました。

 物理学会からの圧力もあり、ノーベル賞として折れないわけには行かなくなったとき、潜在的な「日本からの猛烈な非難」を避ける意味も含め、セットにされたのが「なぜか1968年に出た、川端のノーベル文学賞」といった内容は「日本にノーベル賞が来る理由」にも記した通りです。