「誰が行っても辛い結末になるのなら、自分の息子に」

 数日前から胃もたれがひどく、お腹も緩かった。きちんと診てもらおうと思い、胃カメラの予約を取っていた。その日も朝から体調の悪さを感じていたが、試合終盤、とうとう腹痛に耐えられなくなり、選手に「ちょっとトイレに行かせて」とベンチを離れた。

 強い下痢。排便中に吐き気に見舞われた。嘔吐すると、吐血していた。トイレで鏡を見ると、死人のように真っ青な顔をしている。意識が遠くなりながら、這うようにしてトイレを出て、そこにいた相手チームの選手に「先生を呼んできて」と頼むと、そのまま倒れ、意識を失った。救急車で病院に運ばれると、胃と十二指腸に潰瘍が見つかった。

 退院してから、ずっと足に装具をつけてグラウンドに立ちノックを打っていたのだが、そのために痛み止めを飲み続けたことが胃に負担を掛けていた。また、胃が痛くなるような悩みも抱えていた。

 このとき、チームには長男の泰聖がいた。文彦は基本、最後の夏の大会は「3年生は全員ベンチに入れて、可能な限り試合に出す」という方針で臨んでいた。

 泰聖が2年生の夏、3年生の部員が少なかったので、ベンチ入りの当落線上にいて、純粋に技量で選んだら入れるところだった。それでも他の外れる部員やその親の気持ちを考えると、果たして自分の息子をベンチに入れて良いものか、考えるたびに胃が痛くなった。

 その夏はコロナのために甲子園が中止となり、代替で行われた大会はベンチ入りの人数が増え、試合のたびにメンバーを入れ替えることができる規定だった。そのため3年生だけでなく、泰聖たち当落線上にいた下級生にも、試合を経験させることができた。

 翌年(2021年)はそうはいかない。泰聖の学年は例年よりも部員数が多く32人いた。静岡県の夏の大会のベンチ入りは20人。3年生を最低12人は外さなくてはならない。その決断に苦しんでいた。

 ベンチ入りは進路にも影響する。体調を崩し、なかなかグラウンドに出られない負い目もあった。そんな文彦を救ったのは、保護者たちの態度だった。

 ベンチを外れた選手の親からも、いっさい不満の声が出ることはなかった。体調不良を押して指揮を執る文彦の姿を見て、「そんなことは気にしなくていいから」という空気になっていた。部員たちも「監督のために」とまとまった。

 試合中、ベンチには入れなかった3年生の控え選手たちの声援を聞いて、文彦は胸が熱くなった。それまで、部員数が増えることで、こうしたメンバー外が生まれてしまうことに、どこか恐怖心があった。

 だが、これから部員が増えてきたら、3年生がどれだけ頑張っても最後にベンチを外れることもあると示すことができた。それでもクサらずに最後まで頑張る3年生の姿に、「これなら大丈夫だ」と自信が持てた。

 夏の大会は4回戦まで勝ち進んだが、藤枝明誠に2-9と大敗する。あと1点失えばコールド負けという状況で、文彦はリリーフとして泰聖をマウンドに送った。最後は泰聖が打たれ、試合が終わった。わが子への思い出作りの気持ちはなく、「誰が行っても辛い結末になるのなら、自分の息子に」という判断だった。

 病気は今も完治には至らず、今もたまに症状が出ることがある。遠征の移動で、高速道路での急なトイレなど周りに迷惑を掛けるわけにはいかないと思い、チームとは別行動を取ることが多くなった。

 コロナと病気と、息子と過ごした3年間。野球という枠を超えて、人間観が変わった人生の転換期となった。(第5話に続く)

【矢崎良一(やざきりょういち)】
1966年山梨県生まれ。出版社勤務を経てフリーランスのライターに。野球を中心に数多くのスポーツノンフィクション作品を発表。細かなリサーチと“現場主義"に定評がある。著書に『元・巨人』(ザ・マサダ)、『松坂世代』(河出書房新社)、『遊撃手論』(PHP研究所)、『PL学園最強世代 あるキャッチャーの人生を追って』(講談社)など。2020年8月に最新作『松坂世代、それから』(インプレス)を発表。