スマホ解禁に踏み切った理由

 まず、週に一度は練習を完全オフにした。その日は部員各自が考えて、治療に行ったり、リラックスして過ごしたり、もう完全に任せている。禁止していたスマホを解禁した。これも文彦にとっては巨大なハードルだった。「苦しかった」と振り返る。一緒に指導していた部長は、最後まで反対したという。

「管理したところで、見えていないところで何かやらかすんじゃないかとか、彼らをそういう目で見るのがイヤだったんです。だから隠れて使うくらいなら、もう堂々と持ちなさい。そのかわり、ルールはしっかり守るんだぞ、と」

 そんな大人の心配をヨソに、部員たちのほうが先を行っていた。

「そしたらみんな、投球動作の動画を見たり、トレーニングのYouTubeを見て研究したりしている。チームでインスタグラムを始めることになって、中学生に向けていろんな活動を配信してピーアールしたり。これは使い方によってはすごく役に立つものなんだなと、僕自身が勉強になりました。ただ、一つ間違えれば高野連に報告しなくてはならないような事例も出てくるんだということは、彼らにも繰り返し言い続けています」

 こうした変化は文彦の中では自然にやっていることであって、とくに時代背景を意識しているわけではない。

 良いタイミングで若いコーチが加入したり、チームでヨガを取り入れたら女性のインストラクターが来てくれたり、大学など上で野球ができそうな選手が入学してくるようになったら専属のトレーナーと契約したり。そうした外部の人から「こういうのが良いんですよ」と話を聞けば、「へぇー」と思って勉強して、取り入れたことも多かった。

 ドラフトで注目を集める3年生の小船翼投手は、入学してきた時には192cmの95kgのサイズだった。それが3年生の夏に198cm、110kg。3年間で6cm、15kg大きくなった。

 1年生の頃は、馬力はあるが身体のバランスが悪く、ストライクが入らなかった。それでも投手が何人もいるようなチームではなかったため、練習試合ではどんどん投げさせた。連続四球で収拾がつかなくなることもあり、「相手校さんには相当ご迷惑をお掛けしました」と申し訳なさそうに言う。

プロ注目の小舟翼投手。身長198cm、体重110kgの大型右腕だプロ注目の小船翼投手。身長198cm、体重110kgの大型右腕だ

 勇は監督時代、毎日投げさせる方針だった。日本航空で甲子園に行った左腕の八木智哉(現・中日スカウト)などは、「こんなに投げなきゃいけないんですか」といつも文句を言ってきたという。そうやって鍛え上げて、頑丈な投手を作っていた。

 文彦は父のように、手取り足取り教えることはしていない。バッテリーについては、若い原史彦コーチが担当している。ブルペンでは各投手が自分で球数を決めて投げている。

「小船は自分で練習をする子でしたね」と言う。むしろ、投げすぎないように気をつけていた。探究心があり、変化球を自分で練習してマスターし、試合で試していた。今ではスライダーやフォークボールと球種は豊富。外部トレーナーによるトレーニング指導で身体が絞られ、ボールのキレも増していった。