「自分は防衛庁長官が天職でそれができれば十分だ」というくらい防衛政策に賭ける意気込みも聞いた。
大雪の中、石破さんのご自宅の挨拶に行き、帰り際に私の運転する車が雪に埋まってしまったことがある。
その時はご夫妻で雪の降る中、私の車を押して雪から脱出させてくださった。とっても優しいご夫妻だ。とても寒い日で、あの時の思い出は忘れられない。
その後は、衆院選で、お互いの地盤である鳥取一区で激突した。
麻生太郎が思わず「石破っておもしれーな」
私との小選挙区の戦いでは、選挙で最強の石破さんが唯一、得票率で50%を切ったものだった。しかし、私の実感では横綱相撲で押し切られた感じだった。
その後は私は参議院にまわり、同じ自民党に入った。
やはり自分の選挙区で自分に向かってきた者は誰でも許せるものではなく、当たり前に疎んじられ、国会や党本部で会っても挨拶もしてもらえなかった。
しかし、そのうち地元の会合などで打ち解け、2008年に石破さんが初めて自民党総裁選に出馬した時には、私が20人目の推薦人になった。何度も立て続けに連絡をもらったのはあれが初めてだった。
印象的だったのは、2007年に私と改選期が異なる参院現職の選挙の応援に、当時、幹事長だった麻生太郎さんといっしょに鳥取に来られたときのことだ。