ロシア・ウクライナ戦争やイスラエル・ハマス紛争においても、女性兵士の活躍がたびたび報じられている。イスラエル国防軍の男女混成部隊であり、女性兵士が3分の2ほどを占める「カラカル大隊」は、10・7の奇襲攻撃の直後、4時間にわたるハマスとの戦闘で自隊に一人の犠牲者も出さず、100人以上を射殺したという。

同じ任務に就かせることが「平等」なのか

 さて自衛隊の職域開放に話を戻そう。これは非常に画期的な出来事だったと言える。筆者の防衛大時代の同期にも、戦闘機パイロットを志しながら、性別の壁にはばまれて叶わなかった女性がいた。また10式戦車が好きだった筆者自身も、志望できるものなら機甲科を選んでいただろうと思う。「男性だけの聖域」に女性を入れることに対して、大きな抵抗感を覚えていた男性隊員もいたと聞くが、もはやその反対の声に時代の波を押し戻すだけの力はなかった。

 だが職域開放は、当の女性自衛官にとって、単に喜ぶべき話というだけではない。たとえばいわゆる“歩兵”が所属する陸自の普通科は、何といっても体力が要求される。そしてどれだけ女性が努力してトレーニングしたとしても、同じように努力している男性と比べるとどうしても大抵の場合、体力面では劣ってしまう。それは生物学上、いかんともしがたい差異だ。

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 いまの自衛隊ではさすがに、内心はどうあれ表立って「女はいらない」と公言するような男性自衛官は激減している。多くの男性自衛官は、「女性自衛官は優秀だ」と高く評価する。だがそれは、男女の差異=体力の差異が問題とならない職域・職種において、という前提だ。

 たとえば普通科の訓練において、約4kgの89式自動小銃はともかく、約13kgの個人携行対戦車誘導弾(LAM)を長時間担いだり持ったまま走ったりという行為は、女性にとってかなり厳しいものだ。さりとて「私は女だから、LAMなんて持てない」などと放言してしまえば、男性自衛官からの反感を買うことは明白だ。女性自衛官はここで、「必死に努力して何としてでも食らいつく」根性を見せることが求められる。

 もちろんそれでも、女性自衛官自身が普通科を望み、鍛錬に鍛錬を積み重ねて配属されたのであれば、本人にとってはいいだろう。そうした先人の姿は、後進の希望ともなるはずだ。当の女性自衛官からも、「並みの男性よりも体力のある女性自衛官が、自分のやりたいことができるようになって、楽しそうに仕事をしている。実際にそんな姿を見ると『いい時代になった』と思う」との声が上がっている。

「女性は守るべきもの」という価値観が根強い

 しかし自衛隊は、そうやって先人たちが努力すればするほど、「あいつができたんだから、同じ女であるお前もできるだろ」と言われてしまう組織でもある。もし普通科を希望していない、あるいは適性のない女性自衛官が配属されてしまえば、それはその女性にとっても、周囲の男性自衛官にとっても、非常にしんどい状況になることは間違いない。

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