出世すること、起業して金持ちになることが本当に「幸福」なのか

 一流企業に入って出世して社長になった、若くして起業して成功を収め目のくらむような資産を築いた、タレントとして活躍し誰もが知っている人気者になった――といった客観や合理に基づく人生の“成功事例”とは全く別種の、古くて新しい「成功のロールモデル」をわたしたちは見つけなければいけない時代に入っているのではないでしょうか。

 繰り返しになりますが、人生とは何か、その人生を自分はどう築いていくべきなのか、そこにおいて子どもはどういう意味を持つのか、といった、大人たちが「合理的でないし、面倒くさい」と避けてきてしまった、今を生きる子どもたちとの対話がそこには必要です。中学生や高校生、大学生たちと、大人たちとが人生について、子どもを持つことについて語り合う、そこで子どもたちは、次代を残し社会を作ることの意味を見出したり、何かを感じたりする。そこまで踏み込んで考えないと、また、面倒な語らいに取り組まないと、子どもを産み育てていこうという気運の醸成はできないと思うのです。

 人口を地域に分散させるとか、子どもを産み育てる障害になっている「とげ」を抜いていくことは、政策的には意義があるし、重要だと思います。政策として考えると、比較的取り組みやすい課題でもあります。しかし、それらは、人口減を多少食い止める意味はあっても、本質的に流れを逆転させるほどの意味は持ちえません。繰り返しになりますが、それらの政策によって「さあ、子どもを産もう」とはならないのです。

 子どもを持つ意味、そのやりがいや楽しさ、そういうものが伝わらないと、男性育休の補償が出るから、児童手当が出るから、という理由だけで子どもを作ろうとはなりません。あくまで、主たる話(子どもを持つ意味や楽しさ)があってこそ、従となる政策(男性育休の際の所得補償の割合や児童手当など)が活きてきます。

 テクニカルには、インフルエンサーと呼ばれる人たちが、子どもを持つ意味や楽しさを知らしめる動画などを拡散させることが考えられますが、いずれにせよ、すでに金額的には「異次元」となった少子化対策関連の財政支出に加えて、新政権に求められる真の少子化対策は、人生や子どもを持つ意味などを、地道にでも、社会全体で考えたり語り合ったりする場の構築ということになろうかと思います。