それでも、就労目的のミャンマー人が通う日本語学校が次々と休校(時には閉鎖)しているという話が広がった。事実がどうであれ、軍の思惑に従うポーズは必須と考えるのは事業者として当たり前だろう。

 逆に、できるだけ早く教え子たちを日本に脱出させる必要を唱える人々もいた。ある日本語学校のミャンマー人校長は「軍の決めたことはすぐに変わる。私の学校は休校にしませんでした。就労目的の授業は普通に行っていますよ。でもね、徴兵制の発表直後に“もう日本に行けない”と落胆しきった一人の生徒は、授業を放棄して、つまり今までの努力も希望も放り出して田舎に帰ってしまいました。止めるわけにはいきません。私は田舎までの道のりのほうが危険だとは思いましたが……」

 徴兵制の実施が発表された2月はこのような混乱が続いていた。

留学か就労か、それぞれの選択

 軍評議会労働省は、ミャンマー暦による新年の水かけ祭り(祝日連休・4月中旬)後から徴兵を開始し、ひと月に5000人のペースで召集するという方針を明らかにしていた。そして、4月までに国から逃れようとする国民の姿が報道された。ヤンゴンのタイ大使館にビザを求めて長蛇の列ができたという報道は世界を駆け巡った。船で国境を越え国外へと逃げ出す国民についての報道もあった。

 2月15日ごろには、地方ではすでに徴兵が始まっているという噂が広まる。その事実関係を立証することはできない。すぐに、ヤンゴンでも軍が夜間に自宅を急襲し、逮捕をちらつかせ若者を連れ去るという話が広まりはじめた。徴兵される前に逃げる、逃げられる前に徴兵する、といういたちごっこが始まった。

 ヤンゴンにある外資系会社に勤める29歳の男性は、しばらく自宅へ帰らなかったという。自宅があるのはヤンゴンの中心部からバスで1時間程度の典型的な住宅街だ。

「外資系の看板のある建物の中なら人は住んでいないと思われて安全なはずなので、自宅ではなくしばらく会社にいたい」ということだった。

 このように大きな混乱を呼んだ徴兵発表の日から、半年がたった。ヤンゴンで日本語を学ぶ若者たちは今何を考えているのか。旧知の日本語教師に教え子を紹介してもらい、今後の人生プランについて聞いてみた。

〈介護奨学金で脱出する〉男性・27歳
 A君は日本語能力がN3(日常的な会話をある程度理解できるレベル)、通信大学中退(中退の理由はクーデター)の27歳だ。

 男性の就労目的の出国は24年8月現在では認められていない。だから、A君は特定技能や育成就労のような申請で日本へ行くことはできない。そうかといって、自費で学生として留学することなど完全に不可能な経済状況だ。「選択肢は介護奨学金留学生の立場での出国一択になります」という。

 介護奨学金制度では、介護福祉士の資格を取るための約2年間の学費を介護施設が提供し、その奨学金の返済期間として約5年間の就労が条件となる。7年間の拘束期間が確実となる選択であるが、本人はなるべく早く国を出ることを最優先する選択に迷いはないという。20代後半~30代半ばという貴重な時期を、自分の意志での進路変更が不可能な環境で過ごすと決めた。

 A君の友人は「ふた月前はちょっと長めの黒髪のイケメンでしたが、あっという間に白髪が増えたんですよ」と彼の胸中を察していた。「介護奨学金を受けるには日本語能力N3が絶対に必要。A君はのんびり屋さんの印象でしたが、これだけの短期間に日本語学習をしたことをほめてやりたいです」

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