「(試合を)振り返る? 私は監督だ。すべて頭に入っている」とオシム監督

 私の思いをはっきりと代弁してくれたのは、2022年に鬼籍に入られた我が心の師、元サッカー日本代表監督イビチャ・オシムでした。

 2010年のワールドカップを目指して監督になったときに、私は「フットボール界を超えて、日本社会が変わる契機だ」と期待に胸を躍らせていました。オシムの言葉は、私たちの社会を正しく丸裸にさせてくれるものばかりだったからです。

 当時、すでにたくさんの日本のフットボーラーが外国のチームで活躍していましたし、代表はアジア予選を自力で突破できるようになっていました。

 着実に発展した女子代表においても、ドイツに渡ったストライカー永里優季はテレビのインタビューで「フットボールの本質」という言葉を使うようになっていました。変わらなかったのはメディアでした。

 オシムは「自分がユーゴ代表で東京五輪に来たときから40年以上、少しも変わっていないものがある」と静かに言っていました。「それは君たちだ(メディア)」と。実に辛辣な指摘でした。日本の代表的マス・メディアは、試合終了直後の会見で驚くべき質問をしていました。

「監督、アウェイでの戦い、勝ち切りました。振り返ってみてください」

 オシムは不可解と落胆の表情を交互に表していました。「振り返る? 私は監督だ。試合で起こったことはすべて頭に入っている。君たちも一緒に観ただろう? どうしてそれを振り返らねばならないのか?」と訝りました。

「そもそも、君たちはどうして監督の私にいつも“気持ち(feeling)”を尋ねるのか? 私は宗教家でも文学者でもない。フットボールのコーチだ。フットボールの質問をしてほしい。君たちの質問は40年変わらない」

2006年7月、サッカー日本代表監督の就任会見で、日本サッカー協会の川淵会長(中央)と握手するイビチャ・オシム氏。左はU-21日本代表の反町康治監督。肩書きはいずれも当時(写真:共同通信社)