日本競馬界史上初、三冠馬同士の対決

1984年11月11日、第45回菊花賞、圧倒的強さでゴールインするシンボリルドルフ 写真/共同通信社

 はたして、どちらの三冠馬が強いのか。追い込み一気・直線爆走のシービーか、正攻法でスキなし・堅実無敗のルドルフか。ファンの期待はいやがうえにも盛り上がり、そしてその対決は、意外と早く実現されます。

 ルドルフが三冠を達成した菊花賞からわずか2週間後に行なわれた第4回ジャパンカップに両馬が出走、初のクラシック三冠馬同士による対決となったのです。

 レースの1番人気は三冠馬の先輩シービーで、2番、3番人気を外国産馬が占め、ルドルフは4番人気でした。ルドルフは引退までに国内で15戦していますが、1番人気でなかったのはこのレースと4戦目の弥生賞のときの2回だけです。

 このときまでにジャパンカップは3回開催されていましたが、日本馬は5着までに入った馬が毎年1頭ずつの3頭のみ(ゴールドスペンサー5着、ヒカリデュール5着、キョウエイプロミス2着)という悲惨な状況で、日本のトップクラスの馬は外国の二流馬にも歯が立たないのか、という厳しい現実を突き付けられていた時代でした。

 こうした時代背景もあって、無敗の三冠馬といえども、ルドルフは4番人気に甘んじざるを得ませんでした。そしてレースの結果は──なんと10番人気で期待薄だった逃げ馬、日本のカツラギエースの快勝に終わります。

1984年11月25日、第4回ジャパンカップ  外国代表馬を抑えて鮮やかに逃げ切り日本馬初優勝を果たしたカツラギエース(右) 写真/共同通信社

 後方に控えるシービーを意識しすぎたルドルフは直線でカツラギエースをとらえられず、初の敗戦で3着、14頭立ての最後尾から追い込んだシービーは結局10着惨敗という、ファンにとっては意外ともいえる結果となりました。

 外国馬を相手に日本の馬がジャパンカップ史上初めて勝利したにもかかわらず、場内には、何か拍子抜けした空気が満ちていることがテレビ画面からも伝わって来たものです。外国馬を蹴散らしてのシービーの勝利を確信し、ルドルフがどこまで迫れるのかを期待した多くのファンの予想と異なり、納得がいかなかったのでしょう。

 ひと月後に行なわれた有馬記念でシービー対ルドルフ2度目の対決が実現しますが、ルドルフが優勝、シービーは3着に敗れ、三冠馬同士の勝負はほぼ決着がついた、とファンは見なしました。

 この2頭の最後の対決は翌1985年の天皇賞(春)でした。シービーはルドルフに次ぐ2番人気でしたが、ここもまた5着に終わり、ルドルフに一矢報いることなく、このレースを最後に引退してゆきました。

 全15戦8勝、うちG1勝利4度という立派な成績でしたが、一世代下のルドルフの登場によって現役生活の晩年は少し影が薄くなりました。