トランプ氏とのディールの“肝”になるスジャのガス関連施設

 ゼレンスキー氏の思惑に話を移そう。「大統領再選の暁には、ウクライナ侵略戦争を1日で終わらせる」「これ以上ウクライナへの軍事援助はしない」と豪語するトランプ氏の米大統領返り咲きは、ゼレンスキー氏にとっては大きな悩みの種だろう。

 そこで、米大統領選までちょうど3カ月前の8月6日を選び、「逆侵攻」によりロシア本土の一部を占領するというサプライズで印象づけ、これをトランプ氏とのディールにおける切り札にしようという思惑も隠されているのではないだろうか。

ウクライナ軍装備の米製HIMARS(ハイマース:高機動ロケット砲システム)から発射のATACMS地対地ミサイルで攻撃を受ける、スジャ近郊の橋梁。ウクライナ軍装備の米製HIMARS(ハイマース:高機動ロケット砲システム)から発射のATACMS地対地ミサイルで攻撃を受ける、スジャ近郊の橋梁。1つの親弾頭に約1000発の子爆弾を収納したクラスター弾だと思われる(写真:ウクライナ国防省ウェブサイトより)

 仮にトランプ氏が返り咲けば、公約どおり無理矢理にでも停戦に持ち込もうとするはずだが、「1日で終わらせる」はトランプ氏お得意のリップサービスで、まじめに受け取らない方が無難だろう。それでもゼレンスキー氏に妥協に次ぐ妥協を強要し、プーチン氏との停戦交渉をまとめる可能性は高く、同時に「これ以上ウクライナに軍事援助しない(有償援助はするかもしれないが)」と主張する可能性もある。

 トランプ氏の悲願は「ノーベル平和賞」受賞で、ウクライナ侵略戦争を停戦に持ち込めば、間違いなく受賞できると信じて疑わないと、専らの噂だ。そこでゼレンスキー氏が逆侵攻で占領したスジャが、実は重要な意味を持つと考えられるのである。

 ウクライナの占領地域には、ロシアからウクライナ経由で欧州各国にロシア産の石油・天然ガスを送る「ドルジバ(友好)・パイプライン」が縦断する。旧ソ連時代、衛星国の東欧諸国に安価なエネルギーを供給し、東側陣営につなぎ止める鎖的な役目として敷設された。

 セキュリティーのためパイプラインの大半は地中に埋設され目立たないが、スジャはパイプライン内のガスの流量を計る「メータリング・ステーション」など、天然ガスを欧州に供給するための設備が集中し、パイプラインの一部も地上に顔を見せる。

 ここが天然ガス輸送の一大拠点であることは素人でも一目瞭然で、天然ガスが重要な外貨獲得源のロシアにとって、極めて重要なインフラ拠点だ。

 エネルギーの要衝を今回ウクライナ軍は無傷で奪った形だが、天然ガス業界に与えるインパクトはやはり強力だったようで、「スジャ制圧」のニュースが流れると市場は敏感に反応、供給懸念からガス相場が一時期高騰したほどだ。

2024年1月、ウクライナがロシア北西部のガス施設を無人機攻撃2024年1月、ウクライナがロシア北西部のガス施設を無人機攻撃(写真:Telegram Channel of head of the Kingisepp district administration Yuri Zapalatskiy/AP/アフロ)

 ロシア~EU間のガス・パイプラインのルートは、ドルジバの他にベラルーシ経由やトルコ経由など何本かある。だがEUの“脱ロシア”政策により、ガス輸送量は大幅減で、ドルジバも最盛期の数分の1ほどの輸送量にとどまるか、または「開店休業」の状況にあるようだ。それでも、スジャ制圧が世界の化石エネルギー業界に及ぼすインパクトは相当なもので、今回はくしくもその重要性を証明する格好となった。

 つまりスジャのガス関連施設が、トランプ氏とのディールにおける肝になるとも考えられる。前述どおりトランプ氏は化石エネルギー業界の全面支援を受けており、彼らの利益確保は最優先に考えるはずだ。だが仮にトランプ氏の強引さが奏功し停戦交渉が妥結すれば、「のど元過ぎれば」と、EU各国は安さの誘惑に負け、ロシア産天然ガスの輸入を徐々に増やす可能性が極めて高い。

>>【写真】ロシア領内のクルスク州を逆侵攻したウクライナ軍の奇襲部隊