ウクライナ軍は8月6日、同国北東部のスームィ州から国境を越えてロシア西部のクルスク州に奇襲作戦(=クルスク奇襲作戦)を開始し、約2週間が経過した。
侵攻部隊は約6個の旅団と数個の独立大隊、そして複数の支援部隊から構成される大部隊であった。
ウクライナ軍は当初、ほとんど抵抗を受けずにロシア領内に容易に侵入できたという。
これはロシア側が完全に奇襲されたということであり、ロシアの情報機関がこの地域へのいかなる種類のウクライナ軍による攻撃をも全く予見できなかったことを示唆している。
図1:ウクライナ軍の第1段階の攻撃(その1)
図2:ウクライナ軍の第1段階の攻撃(その2)
図1はX(旧ツイッター)でこの戦争の研究者デイビッド・バタシビリ(David Batashvili)氏が掲載した図で、8月6日以来のウクライナ軍の攻撃要領が分かりやすく書かれている。
図2はウクライナ軍のオレクサンドル・シルスキー総司令官が8月20日に提示したウクライナ軍の占領地域である。
同司令官によるとこの占領地域は1263平方キロの面積である。なんと2週間で東京23区の約2倍の地域を占領したことになる。
図2までの作戦を第1段階とする。第2段階はこれから実施する作戦段階になる。
ウクライナ軍はセイム川(図3の青色の線)にかかった橋(図3の赤色の橋)を破壊したが、この行動から推測すると、図3の黄色の部分を攻撃奪取する計画だ。
この段階を第2段階とすると図3のようになる。
新たに占領をもくろむ黄色の部分の面積は780平方キロであり、第1段階と第2段階の占領地域を合計すると約2000平方キロの面積(東京23区の約3.2倍)になる。
なお、図3の濃い緑の部分は図2の青い斜線の部分と同じで、第1段階で占領した地域だ。なお、第2段階の作戦については後で詳述する。
図3:ウクライナ軍の第2段階の攻撃(予想)
クルスク奇襲作戦は、「ハイリスクハイリターン」「乾坤一擲」の奇襲作戦だ。
結果的に、ウクライナ軍は、あっという間に広大な地域を制圧し、ロシア側は完全に意表を突かれた。
ロシアの国境警備隊は適切な対応ができず敗走し、多数(数百~2000人)の兵士が投降し捕虜となった。この奇襲作戦はロシア・ウクライナ戦争に非常に大きな影響を与えている。
この奇襲作戦は、現段階(8月21日時点)において成功していて、ウクライナ国民の士気を高め、ウクライナの作戦に対する米国等の友好国の意識を一変させた。
その点では政治的な成功でもあった。
ウクライナはまた領土以上のものを勝ち取った。クルスク侵攻はウクライナにとって、ソーシャルメディア上の情報戦での勝利をもたらした。
ロシア当局は、今回の侵攻は襲撃だとし、ウクライナ軍はすぐに押し戻されるとの見解を示している。
だが、これは第2次世界大戦以来、外国の軍隊によるロシア領土への最大規模の侵攻であり、ソーシャルメディアで見て見ぬふりをするのは難しい。
ウクライナの奇襲攻撃は、ウラジーミル・プーチン大統領のロシアを驚愕させ、ロシア国民のプーチン氏に対する信頼は低下し、彼に対する不満がプリゴジンの反乱以来、最高レベルに達しているという。
ウクライナの攻勢による影響は、戦争を一般のロシア人の日常生活に直接持ち込むことになったことが大きい。
しかし、「ウクライナの成功には限界がある。ウクライナにとっての軍事リスクは時間とともに増大する。ロシア軍は、ウクライナ東部戦線において確実に前進をしている」という指摘もあり、予断を許さない状況にある。
米国の戦争研究所(ISW)が主張するように「ウクライナのロシア侵攻とウクライナ東部におけるロシアの継続的な攻勢の結果と作戦上の重要性を評価するのは時期尚早である」かもしれない。
しかし、本稿においては、クルスク奇襲作戦の2週間を総括するとともに、今後の展望についても書いてみたいと思う。