クルスク奇襲作戦の目的

 ウクライナ当局は当初、作戦目的を明確にしていなかったが、ウォロディミル・ゼレンスキー大統領は8月18日のビデオ演説で「国境付近からのロシア軍の攻撃を防ぐため、緩衝地帯(バッファーゾーン)を侵略者の領土につくるのが目的だ」と明言した。

 緩衝地帯の確保は確かに理解しやすい作戦目的であるが、そのほかにも以下のような複数の作戦目的も考えられ、実際にはウクライナの要人はそれぞれの作戦目的に言及している。

①戦争の主導権を取り戻す。

 2023年11月以来、ロシアは戦域全体の主導権を握っているため、ウクライナ国民とウクライナ軍の士気は低下していた。

 主導権の奪取はその士気高揚のためにも不可欠だった。実際、ウクライナ軍は、クルスク攻撃により前線の一地域で戦場の主導権を握り、ロシアの戦域全体の主導権に対抗することができた。

 ドネツク地域で戦っている兵士たちは、「ウクライナ軍のロシアへの侵攻に勇気づけられた」と語っているし、大多数のウクライナ国民はこの作戦により士気が高揚したと言っている。

 一方、ロシアの国民にとっては戦争をより深刻な形で実感することになるだろう。

②ウクライナ東部の激戦地区(アウデイイウカ正面のポクロウスクとバフムト正面のチャシウ・ヤールやトルツク)のロシア軍部隊を引き離し、クルスク州に転用させる(図4参照)。これはウクライナ軍総司令官シルスキー大将が言及している。

 この部隊転用により、ロシア軍のウクライナ東部での作戦を失敗させることが目的だ。

 確かに、米国家安全保障会議の戦略広報調整官ジョン・カービー氏は、「越境攻撃を受け、ロシアがウクライナ侵略に投入した部隊の一部をクルスク州に再配置したことを確認している。その規模は数千人規模だ」と言っている。

 しかし、ニューヨーク・タイムズ紙などによると、ロシアが多くの部隊を激戦正面から転用した形跡はほとんどないという。

 ロシア軍はウクライナ東部の重要都市ポクロウスクに迫っており、クルスクへの新たな攻勢がモスクワに戦場の他の場所での攻撃の縮小を促すというウクライナの期待は今のところ実現していない。

 ただし、複数の公式機関は「ウクライナ東部のドネツク州に投下されたロシアの滑空爆弾の数が大きく減少している。つまり、滑空爆弾を搭載した機体は今、ロシア領内の別の場所にいるということだ」と報告している。

③将来の停戦交渉を見越して、ロシア領土を占領し、占領地域をバーターとする。

 このバーターは、ゼレンスキー大統領がしばしば言及する「exchange fund(交換材料)」であり、土地だけではなく捕虜も交換材料に含まれる。

 一部の識者がロシアの原子力発電所(クルスク原発やクルチャトフ原発)に対する攻撃をロシアの戦術核兵器使用の脅しに対するバーターに使用するという案を出しているが、どうだろうか。

 理論的には考えられるが、使用できるバーターではないと思う。

④ウクライナの主要な政治的目標は、戦争をロシア領土に直接持ち込むことにより、ロシア国民の不安や恐怖を煽ることで、不安定な状況をつくり出し、プーチン氏の指導者としての不適格性およびロシア軍の防衛態勢の失敗に国内外の注目を集めることである。

 つまり、ウクライナにとっては占領した領土そのものよりも、攻勢によって生み出されるニュースやうわさ話、恐怖の方がもっと重要なのかもしれない。

⑤プーチン大統領が主張するレッドライン(越えてはならない一線)は米国などの兵器等の提供を放棄させる(遅らせる)単なる脅しであったことを明らかにすること。

 プーチン氏は「ウクライナ軍がロシア領土を攻撃することはレッドラインだ」と言ってきた。

 実際、ウクライナ軍が国境を越えて攻撃した後も、プーチン氏が警告した第3次世界大戦や核戦争が生起する可能性が無視できるくらい低いことが証明された。