今後の展望

 両軍ともに戦争に勝利をもたらす決定的な作戦を実施する能力には限界がある。

 ウクライナ軍のクルスク攻撃とロシア軍のウクライナ東部における攻勢作戦は、それのみではこの戦争に勝利をもたらす決定的な軍事作戦ではない。

 戦争に勝利するためには、限定的な作戦目標を持つ複数の作戦を連続して実施しなければならない。

 ウクライナとロシアには、それぞれが次に実施をする複数の作戦に対する事前の検討と計画が必要である。

 この観点ではウクライナとロシアが計画実施すべきことは多い。

●ロシア軍がやるべきこと

・ロシア当局がまずやるべきことは、ロシア領土に侵入したウクライナ軍を迅速に排除することであろう。

 しかし、プーチン大統領は「10月1日までにロシア国内に侵入したウクライナ軍を排除せよ」という命令を発した。

 この命令からは「ロシアに侵入したウクライナ軍を迅速に排除する」という強いメッセージが伝わってこない。

 ウクライナ軍は、10月1日までの約40日間で占領地域を保持するための陣地や障害の構築を急ぐことができるだろう。

・同時に、当初の目的であった「ドネツク州とルハンシク州の完全制圧」を行わなければいけない。

 プーチン氏とロシア軍は、2023年11月に戦域全体の主導権を掌握して以来、戦域全体の主導権を維持することがウクライナとの消耗戦に勝つために必須であると考えている。

 ロシア軍はウクライナ軍を疲弊させることと、ドンバス地方の完全掌握を目的とした作戦として、ウクライナ東部と北東部全域で一貫した攻勢作戦を展開している。

 ロシア軍は現在、ドネツク州、特にポクロウスクとトレツク奪取のための攻撃を継続している。

 ドネツク州での継続的な攻撃が、同地域で防衛作戦を実施するウクライナ軍の人員や兵器を引き寄せている。

 ウクライナが、クルスク侵攻により同地域で戦場の主導権を追求したとしても、ロシア側は戦線全般の主導権を維持しようとしている。

 その証拠に、ロシア軍はウクライナ東部の最激戦区から部隊をクルスク州に転用していない。

 転用したのはヘルソン州やザポリージャ州のロシア軍だ。

 ロシアは他の目的の追求を犠牲にしてでも国境をカバーできる戦闘力を保有している。しかし、そうしてはいない。その判断には一貫性がある。

ウクライナ軍のクルスク侵攻を受けて、プーチン氏の核攻撃や第3次世界大戦へのエスカレーションという脅しがハッタリであることが明らかになった。

 ロシアに核使用の兆候はない。米国防総省のカービー報道官は、「核兵器に関する過激な言説も、我々の戦略的抑止態勢に変更を迫るような事象も一切、見たり聞いたりしていない」と言っている。

 ハッタリが効かなくなったプーチン氏が使える手段は少なくなっている。

●ウクライナがやるべきこと

・ウクライナは、クルスク奇襲攻撃で多くの成果を得た。ウクライナは、一時的にせよ前線の一つの正面で戦場の主導権を獲得し、クルスク州で1263平方キロの地域を支配下に置いている。

 将来的には2000平方キロ以上のロシアの領土を占領しようとしている。ウクライナが占領した領土を長く保持できれば、クルスク州への侵攻は交渉カードとして使えるかもしれない。

 しかし、それだけでロシアとの戦争に勝てるわけではない。

 第1段階の作戦は綿密に計画されたが、第2段階以降の作戦をどうするかが問われている。奇襲の要素を失ったウクライナの前進は鈍化している。

 英王立防衛安全保障研究所(RUSI)のジャック・ワトリング氏は、ウクライナに対して以下のように警告している。

①ウクライナの成功には限界がある。現在、ウクライナは貴重な作戦予備戦力をクルスク軸に投入している。

 この部隊がどこまで攻め込めるかには限界があり、ウクライナが将来の交渉で有利な立場を保持するためには、すぐに陣地を固める必要がある。

②軍事リスクは時間とともに増大する。ウクライナは数少ない貴重な作戦予備戦力を投入したため、広大な戦線の隙間を埋めるのに苦労するだろう。

 また、ロシアの偵察ドローン、滑空爆弾、大砲、電子戦、作戦戦術ミサイルによる脅威をまだ解決できていない。

 ロシア軍はこれらの能力を総合すると、ロシアはポクロウスク、トレツク、ドンバスの他の町への着実な前進を続けることができるだろう。

・ワトリング氏の①の警告への適切な対処は、「攻撃をやりすぎないで、早く防御に移行する」ことだ。

 プーチン大統領は、「10月1日までにウクライナ軍をロシア領から追い出す」ことを命じた。

 ウクライナ軍が攻撃前進できる距離には限界がある。次にやるべきことは、ロシア側の反撃を予想して、より防御可能な地域に陣地や障害を構築して、防御に転移することだ。

 ウクライナにとって最良のシナリオは、防御に移行し、占領地を奪い返さざるを得ないと感じたロシア側がウクライナ軍を排除しようとして、膨大な損害を被ることだ。

・ワトリングの②の警告への適切な対処は、ロシア軍が主作戦正面としているポクロウスク、トレツク正面で確実にロシア軍の攻撃を撃退することだ。

 そのためには、この正面に戦闘力を集中する必要がある。

・複数の軍事作戦を計画し実施するという観点では、ウクライナが重視している長距離ドローンやミサイルによるロシア軍の空軍基地を攻撃し、滑空爆弾を運搬する爆撃機を破壊する作戦や石油関連施設の破壊は今後も重視して行うべきだ。

 以上のようなことを勘案して、ウクライナ軍が第2段階作戦として実施しようとしているのはセイム川に架かる橋を破壊し、川の南の地域を早期に奪取し、そこで防御の体制を確立することだ。

●セイム川以南の地域をめぐる両者の攻防が今後の焦点になる

 ロシア西部クルスク州を西へ流れるセイム川は重要な川だ。

 クルスク州の780平方キロの地域はこの川とウクライナとの国境で挟まれている。

 ここ数日、1万〜2万人のウクライナ軍部隊は、スジャの北西にあるセイム川南岸を制圧することに集中しているようだ。この地域にはロシア側3000人が展開している。

 ウクライナ軍はセイム川に架かる橋3本を破壊した(図3参照)。

 ウクライナ軍は、重要な町スジャをはじめクルスク州東部の1263平方キロの地域を既に占領したが、その西方に位置するセイム川と国境に挟まれた地域の孤立化を図っている。

 これは、ウクライナ軍の目的がセイム川以南の地域一帯の掌握にあることを示唆している。

 ロシア側はそれを防ごうとして、仮設の浮橋(ポンツーン橋)を設置しようとしているが脆弱だ。

 セイム川の常設の橋は8月16日に初めてウクライナ軍のロケット弾攻撃(HIMARS=高機動ロケット砲システムの可能性が高い)で破壊された。

 翌17日、ウクライナ空軍はグルシュコボの西11キロほどのズバンノエ村でセイム川に架かる橋を攻撃した。

 さらに19日、ズバンノエの西に位置するカリージュ村の橋も破壊された。ロシア軍の工兵部隊は、16日にグルシュコボ等で浮橋を架けたが、ウクライナ軍に破壊されたようだ。

 橋が破壊されたために、セイム川以南にいる3000人のロシア兵の兵站線は遮断され、孤立化し、包囲され、捕虜になる可能性がある。

 つまり、この地域が今後の最大の焦点になるだろう。