そしてもうひとつ、結果が伴わないときには、思考の方向性も重要になってくる。どんなことを意識してプレーするか、その方向性を変えるだけで、間違いなく結果は変わる。

 では、思考の方向性が適切ではないとすると、その要因はいったいどこにあるのか。

 それは人間力にある、そう我々は考える。思考を適切な方向に導くには、豊かな生活を送るための知恵を得て、人としてより成熟することが求められるのだ。

若き近藤健介のリアクション

<中略> 講義に出席していた中で、特に印象的だったのは、2011年に横浜高校から入団したキャッチャー、近藤健介だった。

「人間力を高めなければ野球はうまくならない、この考え方に疑問を持つやつはいるか?」

 そう尋ねたら、たったひとり、近藤だけが手を挙げた。

 19歳の若さで、たいしたものである。ここで手を挙げられるということは、彼には自分なりの考え方があるということだ。もし、まだその考えがまとまっていないとしても、考えようとする姿勢はうかがえる。意識レベルが高い証拠だ。

 そんな近藤には、こう伝えた。

「近藤、そう思っていていい。ただ、もっといろんなことを勉強したら自分のプラスになるんだって、そんなふうに思ってくれればオレは嬉しい」

 そして、3日間の講義の最後に、僕はある「禁句」を口にしてしまった。

 思えば、1年前はみんなの前でこう言った。

「現役の10年、20年というのは長いシーズンで、オフは休みでもなんでもない、自分の好きな練習ができる期間だと捉えてくれ。野球人生が終わったらずっと休めるから」

 それに、今年はこう加えた。

「10年、20年、頑張らなきゃいけないとは思わないでくれ。2 、3年頑張って、自分のポジションができたら、好きなことができる。ウチのレギュラーを見てくれ。オレは練習もさせないし、好きにさせている。

 でも、みんな自発的に練習に取り組んでいる。好きなように、好きなだけ練習ができたら、野球なんて楽しくてしょうがないんだから。稲葉だって、日本シリーズのあとに1日だけ休んだら、翌日にはもう練習に出てきた。楽しくてしょうがないから、出てくる。いま、頑張れば、将来が見えてくる。必ずいい人生になるはずだから」

 そして、ずっと必死に話していたから、少し興奮していたのかもしれない。最後に、絶対に言わないと決めていた、ある思いを口にしてしまった。

「いいか、野球は学問なんだ。野球学なんだ。だからプロは、野球学の教授にならなきゃダメなんだ」

 いまは「休職中」という扱いにしてもらっているが、縁あって、僕は大学の教授という肩書きをいただいている。そんな僕が「野球学の教授になれ」だなんて言い方をしたら、不遜に聞こえてしまうかもしれない。だから、その表現は使わないと決めていた。

 にもかかわらず、なんとか思いを伝えようとするあまり、勢いでそれが出てしまった。

 でも、たぶん嫌味な感じではなく、言葉通りに伝わった気がする。

 野球を学問だと思って勉強して、自分なりのセオリーを身に付けたら、それが人との差別化になって、自信も生まれる。

 そしたら、野球がうまくできるようになるはずだ。そのきっかけを作ってあげるのが我々で、勉強するのは選手でしかない。

(『監督の財産』収録「3 伝える。」より)

9月9日に発売される『監督の財産』(栗山英樹著)