本格的商業五輪の皮切りとなった「ロサンゼルス五輪」

 その変わり目の象徴となったのが1984年のロサンゼルス・オリンピックだった。

 大会会長のピーター・ユベロスはオリンピック開催に「1セントも税金は使わない」と宣言し、それを実行した。収入の大部分を占めたのはテレビの放映権料とスポンサー協賛金である。

 スポンサー協賛金を集める方式はこの大会以前から実施されていたが、彼が卓越していたのはスポンサーを絞ることだった。1業種1社だけと決めたのだ。当然スポンサー料は高騰するが、スポンサー企業にとっては1業種1社だけなので、それだけ大衆に向けて強くアピールすることができるという大きなメリットがあった。

 そして、それは同時にIOCという組織の格を上げる作用も伴うことになった。

 この「五輪の商業化」を推し進めたのが80年に7代目会長に就任したサマランチである。貴族と王族が運営する組織だったIOCは「儲ける組織」として変貌を遂げた。

アントニオ・サマランチIOC会長、右は元テニスの女王シュテフィ・グラフ=1999年12月(写真:ASL=共同)
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 商業化路線の徹底は、ビジネスにも政治にも精通したこの会長だったからこそなし得たことと言っても過言ではない。

 同一年に開かれていた夏季、冬季の大会を2年おきの開催に変えた改革。テレビ放送権料の高騰を呼んだ複数大会対象の一括契約。テニス、バスケットボールなどへのトッププロの参加……。こうした商業化路線の推進により、オリンピックを取り巻く状況は一変した。