『源氏物語』の作者、紫式部を主人公にした『光る君へ』。NHK大河ドラマでは、初めて平安中期の貴族社会を舞台に選び、注目されている。本連載では、放送の内容について史実との違いなどに着目して解説を行っているが、8月11日はパリ五輪中継のため放送が休止となった。そこで今回は、今後の放送において重要となる三条天皇を取り上げたい。三条天皇が即位した背景や、道長と対立する理由について、『偉人名言迷言事典』など紫式部を取り上げた著作もある、偉人研究家の真山知幸氏が解説する。(JBpress編集部)
即位時はすでに35歳、三条天皇となる「居貞親王」とは?
次回放送(2024年8月18日)で第31回を迎える、大河ドラマ『光る君へ』。今後のターニングポイントのひとつが、一条天皇の退位、そして三条天皇の即位だろう。
一条天皇から譲位されるかたちで、皇太子の居貞親王(いやさだしんのう)が三条天皇として即位すると、道長とは対立を深めていくことになる。やや人間関係が複雑になるので、その軋轢の背景について解説していきたい。
そもそも、居貞親王とは何者なのか。ドラマでは木村達成が演じており、第23回「雪の舞うころ」が初登場となった。皇太子でありながら一条天皇より年上ということで、ちょっとややこしい。整理しておこう。
一条天皇(第66代)は、円融天皇(第64代)の第1皇子にあたる。円融天皇は兄の冷泉天皇(第63代)から譲位されるかたちで即位し、兄の皇子が成長するまでの中継ぎと考えられていた。そのため、権勢を誇った藤原兼家も、兄である冷泉上皇のほうに長女・超子(ちょうし/とおこ)を入内させている。
だが、慎重な兼家はその後、次女・詮子(せんし/あきこ)を円融天皇に入内させた。二人の間には、懐仁親王(やすひとしんのう)が生まれる。その後、兼家とさまざまな駆け引きを行った結果、円融天皇は兄の息子・師貞親王(もろさだしんのう)に譲位し、同時に自分の息子で、兼家の孫でもある懐仁親王(やすひとしんのう)を立太子させている。
そのため、師貞親王が花山天皇(第65代)として即位すると同時に、懐仁親王が皇太子となり、のちに一条天皇(第66代)として即位することになる。
一条天皇が即位するときに皇太子になったのが、冷泉天皇の第2皇子となる居貞親王だ。居貞親王は花山天皇の異母弟にあたり、一条天皇にとっては、4歳年上の従兄弟にあたる。また居貞親王の母は、前述した藤原兼家の長女・超子である。道長にとって居貞親王は、一条天皇と同様に、自分の甥にあたる人物ということになる。
一条天皇は、実年齢にしてたったの6歳で即位している。そこから一条天皇が31歳で退位するまで、居貞親王は皇太子として長い年月を過ごした。
そのため、居貞親王が1011(寛弘8)年に三条天皇として即位したときには、すでに35歳となっていた。年齢的にはもう分別のついた大人だ。「自分はこんな治世を行いたい」という考えがあって当然だろう。
この即位した年齢が、道長と軋轢を生む一つの要因となった。
というのも、幼帝であれば、外戚となった摂政が実権を握ることができる。事実、一条天皇が6歳で即位すると、外戚である祖父の藤原兼家が政務を牛耳り、母である藤原詮子も大きな影響力を持った。そして道長が一条天皇のもとで実権を掌握することになる。
だが、すでに分別ある年齢の三条天皇が即位すれば、そうはいかない。10歳年上にすぎない道長とは当然、衝突することになる。ドラマでは、三条天皇が即位したとき、道長はどんな立ち居振る舞いをするのか。今後の注目ポイントの一つである。