京都の晴明神社にある安倍晴明像京都の晴明神社にある安倍晴明像。安倍晴明は、日本の平安時代中期の陰陽道の第一人者である陰陽師だった(写真:beibaoke-stock.adobe.com)

『源氏物語』の作者、紫式部を主人公にした『光る君へ』。NHK大河ドラマでは、初めて平安中期の貴族社会を舞台に選び、注目されている。第30回「つながる言の葉」では、夫である藤原宣孝の死から3年がたち、まひろ(紫式部)は四条宮の女房たちに和歌を教えながら、自作の物語を披露するようになる。一方、宮中では、清少納言による『枕草子』が流行し、一条天皇が亡き定子への思いを募らせることに藤原道長は危機感を覚えて……。今回の見どころについて、『偉人名言迷言事典』など紫式部を取り上げた著作もある、偉人研究家の真山知幸氏が解説する。(JBpress編集部)

「雨乞い」で結果を出した安倍晴明は80代だった!

 魅力あふれる物語では、主人公やそのパートナーなど近しい人たちが躍動するだけではなく、いわゆる「脇役」も生き生きとしている。時には主人公よりも大きなインパクトを視聴者に与えることさえある。

 大河ドラマ『光る君へ』も脇役たちが異彩を放っており、今回の放送では、とりわけ個性的な脇役2名が見せ場をつくることとなった。

 1人目が、ユースケ・サンタマリア演じる陰陽師の安倍晴明(はるあきら)だ。前回放送から3年の月日がたった寛弘4(1004)年の夏から物語はスタートするが、冒頭から干ばつで苦しむ民の様子が映し出された。

>>【写真】一筋縄ではいかないクセの強い安倍晴明を演じるユースケ・サンタマリア

 雨が全く降らずに井戸が干上がると、まひろの父・藤原為時(ためとき)は「我らの命も持たぬやもしれん……」と死をも覚悟する。干ばつの恐ろしさがリアルに描写されていた。

 そんな中、宮中では一条天皇の雨乞いも効かなかったことが話題に上り、宮川一朗太演じる右大臣の藤原顕光(あきみつ)からは、こんな言葉が発せられた。

「陰陽寮は何をしておるのでしょう。晴明が勤めを退いてからまるであてになりませんなあ」

 陰陽寮(おんようりょう)とは、中務省に属する機関で、卜占、天文、暦、時刻などをつかさどる部署のことを言う。道長は安倍晴明にかけあうが「雨乞いなど、体が持ちませぬ」と断られてしまう。

 すでに晴明が引退していたことに驚いた視聴者も多かったことだろう。晴明は一説によると、延喜21(921)年に生まれたとされる。その説に従えば、このときすでに晴明は80代となる。引退もやむなしの年齢であり、過酷な雨乞いは命がけだというのも、説得力がある。

 道長が「何とかそなたにやってもらいたい。頼む」と食い下がると、晴明は「何をくださいますか。私だけがこの身を捧げるのではなく、左大臣様も何かを差し出してくださらねば、嫌でございます」ときっぱり。道長が「私の寿命を10年やろう」というと、晴明は「誠に奪いますぞ」と言いながら、依頼に応じることとなった。

 一筋縄ではいかないところが、クセの強い『光る君へ』版の晴明らしいが、引き受けた仕事はしっかりやるのも、また彼の魅力だ。一心不乱に祈祷して、見事に雨を降らせることに成功する。

 実際に道長は『御堂関白記』に、寛弘4(1004)年7月14日に深刻な干ばつが続く中、晴明に雨乞いの五龍祭(ごりゅうさい)を行わせると、雨が降ったと記録に残している。晴明は陰陽師としての名声をさらに高めたが、この時すでに死が近づいていた。