
中世ペルシア風の異世界を舞台に、王太子アルスラーンと仲間たちの活躍と成長を描いたファンタジー小説『アルスラーン戦記』(著:田中芳樹)。その壮大な世界観を、西洋史を専門とする研究者が読み解く!
WEBメディア「シンクロナス」の人気連載「〝中世ヨーロッパ風〟ファンタジー世界を歴史学者と旅してみたら」は、ゲーム・漫画・アニメ等のフィクション作品を取り上げて、歴史の専門家の目線から見どころを解説するシリーズ。第3弾『アルスラーン戦記』編から一部をお届けする。
(文・仲田公輔)
パルス国の伝承
『アルスラーン戦記』の物語の核となっている要素の一つが、パルス王の先祖である英雄カイ・ホスローによってダマーヴァンド山に封じられた蛇王ザッハークの存在である。筆者未読だが、原作8巻以降の第二部では、より重要な役割を果たすことになるという。
ザッハークは両肩から蛇を生やし、人間の脳を喰らう恐怖の象徴であり、パルスでは知らないものはいないという(1巻p. 208)。この出で立ちや、人の脳を喰らうという設定、そして英雄によってダマーヴァンド山という実在の山に封じられたという逸話は、実際のペルシアの伝承にある蛇王ザッハークと同様である。
ただし、実際の伝承では彼を封じたのはカイ・ホスローではない。なお、「カイ・ホスロー」もまた、ペルシアの半神話的時代、「カイ王朝」の王である。
強大な悪が封じられているがいつか目覚めて災いを起こすという設定は、ファンタジー作品でもよく見られるものだが、古くから印欧語世界の神話にも数多く見られるものである。
ペルシア語世界最大の叙事詩
蛇王ザッハークをはじめとするペルシアの様々な伝承の集大成である代表的叙事詩が、10~11世紀の詩人フェルドウスィー(934~1025年)による『シャー・ナーメ』である。
フェルドウスィーが生きた10~11世紀は、ユーラシア大陸からアフリカ大陸にかけて一時は巨大な版図を築いたイスラームのアッバース朝の権威に陰りが見え始めており、各地にはイスラーム改宗以前の現地文化の要素を前景化させた勢力も登場していた。
フェルドウスィーが当初『王書』の献呈を予定していた中央アジアのサーマーン朝は、アッバース朝に表面的には服属しつつも実質的には独立した勢力だったが、サーサーン朝ペルシア時代の名家の末裔を名乗っており、この王朝のもとでアラビア文字ペルシア語が成立したことが知られている。
『王書』の内容も、神話時代からサーサーン朝ペルシアまでのペルシア史を扱っている。サーマーン朝の先祖とされるヴァフラーム・チュービーンはサーサーン朝のホスロー2世(在位590~628年)に楯突いた反乱者だったが、『王書』のなかでは英雄の一人として比較的好意的に描写されている。
『アルスラーン戦記』の読者がこの叙事詩を紐解けば、見たことのある人名や地名、エピソードが並んでいることに気づくだろう。残念ながら日本語での完訳は存在しないが、最も手頃な岩波文庫版(岡田恵美子訳、1999年)の抄訳を手に取れば、雰囲気を味わうことができよう。
参考文献
- 岡田恵美子『ペルシャの神話』(筑摩書房、2023年)。
- フェルドウスィー『王書』岡田恵美子訳(岩波文庫、1999年)。
- 山本由美子『マニ教とゾロアスター教(世界史リブレット4)』(山川出版社、1998年)。
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著者プロフィール
仲田 公輔
岡山大学 文学部/大学院社会文化科学学域 准教授。セント・アンドルーズ大学 歴史学部博士課程修了。PhD (History). 専門は、ビザンツ帝国史、とくにビザンツ帝国とコーカサスの関係史。1987年、静岡県川根町(現島田市)生まれ。 >>著者詳細