(写真:Erik Von Weber / The Image Bank / Getty Images)

中世ペルシア風の異世界を舞台に、王太子アルスラーンと仲間たちの活躍と成長を描いたファンタジー小説『アルスラーン戦記』(著:田中芳樹)。その壮大な世界観を、西洋史を専門とする研究者が読み解く!

WEBメディア「シンクロナス」の人気連載「〝中世ヨーロッパ風〟ファンタジー世界を歴史学者と旅してみたら」は、ゲーム・漫画・アニメ等のフィクション作品を取り上げて、歴史の専門家の目線から見どころを解説するシリーズ。第3弾『アルスラーン戦記』編から一部をお届けする。

(文・仲田公輔)

パルス軍の武威

 『アルスラーン戦記』の見どころの一つが、大軍同士のダイナミックなぶつかり合いや駆け引き、そして英雄たちによる迫力のある戦闘シーンの描写であろう。実際の中世ペルシアの軍隊はどうだったのだろうか。

 興味深いのが、『アルスラーン戦記』作中に見られる狩猟と訓練を関連付ける描写である。1巻(p. 10)ではヴァフリーズが狩猟で鍛えられている旨が書かれているし、4巻(p. 148)でも狩猟と軍事訓練の関係に触れられている。

 ペルシア人は古くから練兵を兼ねた狩猟を行っていたようだ。

 古代ギリシアの有名な哲学者ソクラテスを追想した『ソクラテスの思い出』で知られるアテナイ(アテネ)の人のクセノフォンは、アケメネス朝ペルシアに傭兵として仕えた経験を持ち、その一連の経緯を『アナバシス』に記録している。その中で彼の主君であるペルシア王弟キュロスが、軍馬の鍛錬を兼ねて野獣を放した庭園で狩猟を行うのを常としていたと述べている。

 騎乗して狩猟を行う君主の姿は、軍事的指導者・国土の守護者の権威の象徴としていたるところで用いられた。

 サーサーン朝のシャープール2世は、騎乗して弓で野獣を狩る自らの姿を描かせた銀器を流通させたことで知られている。唐代の中国で作成されたと考えられている国宝・法隆寺獅子狩文錦にも、サーサーン朝の影響を受けた狩猟のモチーフが描かれている。

 サーサーン朝の君主は、このように騎射で武威を示すことを良しとした。重装歩兵を主力とする古代ギリシアや槍騎兵たる騎士が活躍した西洋西欧では、少なくとも理念の上では弓は劣った武器だとみなされていたこととは対照的である。

 『アルスラーン戦記』の作中でも、主人公を取り巻く神官ファランギースや詩人ギーヴなど、弓の使い手が活躍する。

シンクロナスにて連載中「〝中世ヨーロッパ風〟ファンタジー世界を歴史学者と旅してみたら【『アルスラーン戦記』編】」

奴隷解放のジレンマ

 アルスラーンは物語が進むにつれて人間としても君主としても成長していく。その際に重要となるテーマの一つが、自由と隷属をめぐる葛藤である。

 パルス国は身分制を敷いており、王族、貴族、騎士、自由人(アーザート)と奴隷(ゴラーム)が存在するという。アルスラーンは奴隷を自由にしてやりたいが、むしろ主人を失うことで奴隷が困窮するという事情を知り、思い悩むことになる。

 現実の世界でも奴隷は前近代の社会では当然視される存在だった。ローマ法やイスラーム法は社会のいたるところに奴隷がいることを前提としており、それについての様々な規定を行っている。権力者や富裕層は奴隷を所持し、生活の様々な局面で使役した。

 現代的視点から見て奴隷制に非人道的な部分があることはもちろん否定できない。しかし、奴隷は高価で持ち主がいる「モノ」であり、財産としては重視されていた。

 現代人の感覚からしたらぞっとするかもしれないが、高性能家電や車を買うようなものだと考えることもできるかもしれない。東洋史学者の森安孝夫は『シルクロード世界史』において、奴隷はコンピュータ登場以前においては「最高の精密機械」だったと述べているが、言いえて妙である。

 奴隷は最も高価な国際交易商品の一つだった。特に辺境地域からすれば、先進地域の富を得るための貴重な輸出品だった。また、『アルスラーン戦記』においてもそのような描写があるが、戦争で得られた捕虜は奴隷の重要な供給源の一つだった。

君主と奴隷の関係

 奴隷と言っても、一般にイメージされがちな、足に鎖をつけられ、鞭で打たれながら重労働に苦しむ(例えば映画『ベン・ハー』のガレー船の漕ぎ手のような)虐げられた奴隷のイメージとはかけ離れた生涯を送る者もいた。特にイスラーム世界の君主の奴隷たちは、君主にこそ隷属しているものの、社会全体から見れば特権的な地位にいることもあった。

 その代表が奴隷軍人であり、軍事力の中核を担う精鋭軍団を形成することもあった。13世紀以降エジプトを中心に勢力を誇ったマムルーク朝(1250~1517年)は、そうした奴隷エリート軍人出身者が支配する社会構造を有していた。

 『アルスラーン戦記』作中は、奴隷は解放されたとしても主人を失くせば行き場がないという点が問題となっており、アルスラーン王太子が志向する全奴隷の解放・身分制の廃止という思い切った施策の足かせとなっている。これは実際の前近代の奴隷制にもつきまとう問題であった。

 もちろん制度としての奴隷制の廃止はより後代のこととなるが、ローマ法やイスラーム法においても、奴隷の解放に関する規定は存在しており、個別事例としては実際に奴隷の解放は行われていた。特にイスラーム世界では、奴隷の解放がクルアーンにも規定された善行として奨励されていた。

 しかし、解放後も元奴隷と主人の間には強い結びつきが残ることが多かった。解放されてもすぐには社会的にも経済的にも自立できない解放奴隷は、主人に奉仕し、主人の方も元奴隷を庇護する責任を負った。その結びつきは擬似的な血縁関係ともみなされ、解放奴隷には主人の財産を相続する可能性すらあった。

 『アルスラーン戦記』で言えば、アルスラーンの軍師役ナルサスの侍童エラムの例がイメージに近いかもしれない。エラムの両親はナルサスの解放奴隷であり、彼自身は既に自由人となっているのだが、彼に侍童として仕え続けている。エラムはともかく、ナルサスはその状況に複雑な思いを抱いているようだが。

 解放奴隷と主人の紐帯は、君主とその元奴隷についても例外ではなかった。なかには元奴隷が高位高官に上り詰めることもあった。

参考文献

  • 清水和裕『イスラーム史のなかの奴隷(世界史リブレット101)』(山川出版社、2015年)。
  • 前田弘毅『イスラーム世界の奴隷軍人とその実像』(明石書店、2009年)。
  • 森安孝夫『シルクロード世界史』(講談社、2020年)。

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著者プロフィール
仲田 公輔
岡山大学 文学部/大学院社会文化科学学域 准教授。セント・アンドルーズ大学 歴史学部博士課程修了。PhD (History). 専門は、ビザンツ帝国史、とくにビザンツ帝国とコーカサスの関係史。1987年、静岡県川根町(現島田市)生まれ。 >>著者詳細