道長たちの控え所で、まひろが立ち聞きしてしまった内容とは…(写真:NHK公式サイトより)

『源氏物語』の作者、紫式部を主人公にした『光る君へ』。NHK大河ドラマでは、初めて平安中期の貴族社会を舞台に選び、注目されている。第7回「おかしきことこそ」では、三郎(道長)への思いを断ち切るべく、まひろ(紫式部)は散楽の台本を書くことを決意。まひろの演目は辻で披露されて大評判となるが、藤原家をバカにした内容が問題視され……。今回の見どころについて、『偉人名言迷言事典』など紫式部を取り上げた著作もある、偉人研究家の真山知幸氏が解説する。(JBpress編集部)

みっともないくらいに泣き叫んだ花山天皇

 いきなり花山天皇(かざんてんのう)が泣き叫びながら暴れるシーンから始まったので、思わずたじろいでしまった。

 本郷奏多演じる花山天皇が、これだけ嘆き苦しむのは、井上咲楽演じる藤原忯子(よしこ)が急死したからである。寛和元(985)年7月18日、忯子は我が子を身ごもったまま、17歳で死去することになった。

 もともと、花山天皇が忯子に一目ぼれして「入内してほしい」と懇願したとも言われるだけあって、最愛の女御だった。ドラマでは、入内の経緯について金田哲演じる藤原斉信(ただのぶ)にこんなセリフで語らせている。

「妹の忯子が死んだのは、あんな帝のところに入内したからだ。父も俺も不承知だったのに、義懐(これちか)がしつこく屋敷に来て『帝のお望みを叶えてくれ』と頭を下げるゆえ、根負けしてしまったのだ。あのとき止めておけば……あんな若さで死ぬことはなかった」

 義懐とは花山天皇に重用された藤原義懐のことだ。その願いが叶うと、花山天皇はうれしさのあまり昼も夜も寵愛したと伝えられている。

 それだけに死去の衝撃はあまりに大きかった。貴族社会の歴史を編年体で叙述した『栄花物語』(えいがものがたり)でも、失意に沈む花山天皇の姿がこんなふうに書かれている。

「帝も閉じこもってしまい、御声も惜しまず、まったくみっともないくらいにお泣きあそばす。御乳母たちが止めても、お聞き入れにならず、何ともいたましいことだ」

 嘆き苦しむ様子が伝わってくるが、ドラマでは花山天皇が「忯子とて右大臣が呪詛したのかもしれぬ」と漏らすシーンがあった。一方、疑われている右大臣の藤原兼家(かねいえ)は安倍晴明(あべのせいめい)に「腹の子を呪詛せよとは言うたが、女御様のお命まで奪えとは言うておらん。やりすぎだ」とたしなめている。

 もちろん、このあたりはドラマのオリジナルだが、その後の兼家がとった行動を見れば、忯子の死去を受けて、花山天皇を追い落とすチャンスだとほくそえんだのは確かだろう。

 兼家としては、次女の藤原詮子(あきこ)が、円融天皇(えんゆうてんのう)との間に産んだ懐仁(やすひと)親王を、早く天皇に即位させたかった。そのためには、花山天皇に早く退いてもらわなければならない。

 兼家は正妻格の時姫との間に生まれた次男・道兼(みちかね)を利用して、花山天皇を出家へと追い込んでいく。陰謀がどのように実行されるかは、次回以降の見どころとなる。