形骸化したアマチュア精神

 日本の五輪メダリストに報奨金が出るようになったのは、1992年の冬季アルベールビル大会(フランス)からです。

 もともとオリンピックにはアマチュア精神が根付いていました。紀元前の古代ギリシャで始まった古代五輪では、勝者に贈られるのはオリーブの葉で作られた冠だけ。大会は最高神ゼウスに捧げるものとして位置づけられており、金品の授受は忌避されていたようです。

 1896年にアテネで始まった近代五輪にもこの精神は受け継がれました。選手は経済的利益を求めないものとし、五輪憲章は「選手はアマチュアであること」と規定。長らく、スポーツでお金を稼ぐ発想はオリンピック精神にそぐわないとされてきました。

 しかし、ソビエト連邦や東ドイツ、中国といった社会主義国の選手が五輪で活躍するようになると、国家丸抱えの高待遇、いわゆる「ステート・アマ」批判が高まります。また西側諸国でもトップ選手はプロとして活動するケースが多くなり、五輪憲章のアマチュア規定は空洞化。1974年にこの規定は削除されました。

 それでも日本はアマチュア路線に傾注し、報奨金の支給などをよしとしない時代を続けました。転機となったのは、1988年の韓国・ソウル五輪です。日本のメダル数は14個に終わり、韓国や中国の半分以下に。アジアのライバル国に圧倒的な差を見せつけられたことから、アスリートのために資金を使わない姿勢に批判が集まりました。

 ソウル大会で中国や韓国はメダルを獲得した選手に多額の報奨金を準備していると伝えられていたことも、その議論に拍車をかけました。

 ソウル五輪閉幕後の同年10月8日、読売新聞朝刊は「何とかしたい 日本の低落」という解説部記者の大きな記事を掲載しています。その中で、勝つための手立てが十分尽くされていない、経済大国としてスポーツ文化にもっと資金をつかうべきだと強く主張。「メダルを取った選手への顕彰の見直し」を訴えたのです。

 そうしたメディアの声は次第に関係者を動かすようになり、JOCの収益によって選手を報奨する仕組みが1992年のアルベールビル冬季五輪で整ったのです。