この組閣に時間がかかる連立政権を生むような完全比例代表制に比べて、今回のイギリスの総選挙は、小選挙区制が政権交代にもたらす単純かつ劇的な効果を見せつけたのである。

 同じような劇的な効果は、2009年8月30日の日本の総選挙でも起こっている。民主党が115議席から308議席に躍進し、単独過半数を得た。自民党は300議席から119議席に激減し、野党に転落した。得票率で見ると、民主党は42.41%、自民党は26.73%であり、死票の多さが際立っている。

 私は、当時は麻生内閣の閣僚であったが、野党となって政権の座から追われてしまい、厚労大臣として手がけた多くの改革を完遂できなくなったことを悔やんだものである。

日本の選挙制度改革

 日本では、1994年に、細川内閣下で公職選挙法が改正され、従来の中選挙区制から小選挙区比例代表並立制(拘束名簿式比例代表制)に仕組みが変わった。そして、この制度は、1996年以降の衆院選で実施されてきている。

 中選挙区制下では、選挙区も広く、選挙費用がかさむ。1選挙区から3〜5人が選ばれるので、自民党が各派閥から数人が立候補することになり、派閥間の熾烈な争いになる。同じ党なので、政策は同じだから、カネの戦いとなり、金権政治、派閥政治の弊害が大きくなった。

 自民党の派閥はカネ集めに狂奔することになり、田中角栄は、その手腕で大派閥を形成し、政権を手に入れている。そのような金権政治が、リクルート事件(1998年)、東京佐川急便事件(1992年)、ゼネコン汚職事件(1993〜94年)を引き起こし、その反省から、中選挙区制を改めようという機運が盛り上がった。

 そして、派閥から政党中心に、金権から政策中心にする仕組みだということで、小選挙区制導入が考えられたのである。

 改革の錦の御旗は、二大政党による政権交代を可能にする制度だということであった。

 しかしながら、自民党政権に終止符を打って細川内閣が成立したのは、1993年7月18日に行われた総選挙の結果であり、それは中選挙区制の下でのことであった。しかも、皮肉なことに自民党・社会党の「疑似二大政党制」は存在していたのである。したがって、小選挙区制でないと政権交代が起こらないというのは事実ではない。