人の幸福が我慢できない、「羨望」という感情の本質

──職場を腐らせる人たちの背後には「羨望」という感情があるという印象を受けました。羨望がここまで人を邪悪にしてしまうのは、羨望という感情が人に多大なストレスを与えるからですか?

片田:そうです。羨望とは、他人の幸福が我慢できない怒りです。ただ、自分の心の中に羨望があると認めることは、その人より自分が劣っていると認めることになるので、本当に耐えられない。まさに歯ぎしりするような感情です。

 だから、その人を貶めるために、陰口を言ったり、事実無根の噂を流したり、知らせるべきことを知らせなかったりする。

──私も羨望の念を抱くことはありますが、それは耐えがたいです。

片田:はい。私ももちろん、羨望とは無縁ではありません。同業者で、自分よりも本が売れている人や、メディアで活躍している人を見ると、羨望の念を掻き立てられます。でも、そのたびに「これは羨望だ」と自覚して、自分も負けないように頑張ろうと思ってやってきました。

──素晴らしくポジティブな切り替えですね。

片田:羨望という感情の本質は怒りですが、怒りという感情は、とても大きなエネルギーになるのです。

 発光ダイオード(LED)で、ノーベル物理学賞を受賞した中村修二さんが、受賞時の会見で「怒りがすべてのモチベーションだった。怒りがなければ何も成し遂げられなかった」と語っていましたが、私も自分が頑張ってこられたのは怒りのおかげだと感じています。その怒りの中には羨望も含まれます。

 これまでに一番売れた私の本は『他人を攻撃せずにはいられない人』(PHP研究所)です。実は、あの本を書く直前に、ものすごく怒りを覚える出来事がありました。

 芸能人の質問に専門家が答えるというあるバラエティ番組に出演した時に、依存症で苦しんでこられたある芸能人の方がゲストで登場しました。私が精神科医としてその方にアドバイスをするという構成です。

 ところが、「精神科医の片田です」と自己紹介すると、その芸能人が激高したのです。聞けば、それ以前に別の精神科医から処方された薬が合わず、嫌な思いをしたという気持ちがあったようです。収録が大荒れになり、後にディレクターからは「あの場面はカットにさせてほしい」とお願いがきました。

 後日、私はその出来事を新聞連載に書きました。それがネットにアップされたら「記事を削除しろ」とその芸能人の所属する事務所から圧力がかかりました。結果的に、カットせざるをえない状況になりました。

 その時にとても理不尽だと思い、強烈な憤りを覚えました。その怒りのエネルギーで、あの本を書くことができたと感じています。今はむしろあの方に感謝しているくらいです。