ショルツ首相訪中が示すドイツの苦しい事情

 ところがEUのデリスキング政策に水を差すかのような態度を取る国が現れた。それがドイツだ。マクロン大統領とフォン・デア・ライエン委員長が習主席に対し厳しい態度を示したのに対し、EU最大の経済パワーの首相が、中国に対して宥和的な態度を見せた。

 ドイツのオラフ・ショルツ首相(社会民主党=SPD)は今年4月14日から16日まで、中国を訪問した。彼は1年半前にも北京を訪れ、G7加盟国としてはコロナ禍発生後初めて中国の土を踏んだ。実はショルツ首相が、一国に3日間続けて滞在したのは、中国が初めて。これらの事実には、彼がいかに中国との関係を重視しているかが表れている。

 ショルツ首相は今回の訪中にBMWやメルセデスベンツなどドイツの大手メーカーの社長たちを同行させた。そして習主席や李強首相との会談では、両国間の経済関係を拡大させることに力点を置いた。デリスキング政策や人権問題にはほとんど触れなかった。

 彼の態度は、中国との貿易や投資を重視したゲアハルト・シュレーダー元首相やアンゲラ・メルケル前首相と極めて似ていた。ドイツ政府は2023年に中国戦略を初めて公表し、中国を「パートナー、競争相手、そして社会システムをめぐるライバル」と位置付けて、戦略的に重要な製品や原材料については中国への過度な依存を減らすデリスキング政策をとると明記した。ショルツ首相が北京で見せた態度は、この中国戦略と矛盾する。

 実はドイツの自動車メーカーは、EUが中国からのEVに制裁関税をかけることを警戒している。世界の自動車業界で、ドイツのメーカーは世界で最も中国への依存度が高い。フォルクスワーゲン・グループなど大手メーカーが世界で売る車のほぼ3台に1台は中国で売られている。彼らは、EUが中国製EVに制裁関税をかけた場合、中国での生産活動などに悪影響が出ることを恐れている。このためショルツ首相もEUが中国製EVに制裁関税をかけることに反対している。

 ドイツ連邦統計局によると、独中間の2023年の貿易額(輸出額と輸入額の合計)は2544億ユーロ(約43兆円)。中国は8年連続でドイツにとって最大の貿易相手国だったことになる。ドイツで直接的・間接的に中国ビジネスに依存している就業者の数は、約100万人にのぼる。

 ドイツはロシアのウクライナ侵攻以来深刻な景気後退に悩んでいる。2023年のドイツの実質GDP(国内総生産)成長率はマイナス0.3%と、G7で最低だった。このためショルツ首相は、「自国経済ファースト」を打ち出さざるを得なかったのだ。

ショルツ訪中で減殺された対中国の「梃子」

 ドイツの論壇では、「ショルツ首相は今回の訪中で、中国ビジネスを重視するドイツの大手企業の意向を代弁した」という見方が有力だ。つまり習主席は、ショルツ氏の訪中を通じて、EU最大の経済パワー・ドイツがデリスキングについて真剣でないことを確信したはずだ。その意味で、パリでマクロン大統領とフォン・デア・ライエン委員長が習主席に対して示した対中強硬姿勢は、会談が始まる前から効果を削がれていた。

 実はマクロン大統領は、ショルツ首相をパリでの習主席との会談に招待していた。しかしショルツ首相は「他の日程との兼ね合いで困難」として断った。中国で宥和的態度を見せたショルツ首相は、マクロン大統領とフォン・デア・ライエン委員長とともに習主席と顔を合わせることを避けたのだろう。エリゼー宮で習主席から、「あなたは北京で私に対し、独中経済関係を深めたいと言ったではないか」と指摘されると、ショルツ首相の面目はつぶれる。ショルツ首相がパリでの会談に参加しなかったことも、ドイツとフランス・EUの間の歩調の乱れを示唆する。

 不動産不況や若年失業率の増加、内需の減退に悩む中国は、約5億人の人口を持つEU市場を必要としている。その意味でEU加盟国がもしも団結すれば、中国の行動に影響を与えるための「梃子(レバレッジ)」を持つことができる。だがドイツの態度は、EUが一枚岩ではないことを世界中に示した。今回ドイツ政府が自国経済を優先して、中国に宥和的な態度を示したことは、EUがこの梃子を利用する可能性が減ったことを意味する。習主席にとって、今回の訪欧は「EU与し易し」という印象を与えたに違いない。

熊谷徹
(くまがいとおる) 1959(昭和34)年東京都生まれ。ドイツ在住。早稲田大学政経学部卒業後、NHKに入局。ワシントン特派員を経て1990年、フリーに。以来ドイツから欧州の政治、経済、安全保障問題を中心に取材を行う。『イスラエルがすごい マネーを呼ぶイノベーション大国』(新潮新書)、『ドイツ人はなぜ年290万円でも生活が「豊か」なのか』(青春出版社)など著書多数。近著に『欧州分裂クライシス ポピュリズム革命はどこへ向かうか 』(NHK出版新書)、『パンデミックが露わにした「国のかたち」 欧州コロナ150日間の攻防』 (NHK出版新書)、『ドイツ人はなぜ、毎日出社しなくても世界一成果を出せるのか 』(SB新書)がある。

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