
ロシアがウクライナに侵攻してから2月24日で4年目を迎える。トランプ米大統領はロシアのプーチン大統領と停戦交渉をはじめる一方、戦争を開始したのはウクライナだと偽情報を発信するなど欧州側には米露への不信感が募る。こうした状況の中、日本でウクライナから避難してきた人たちを支援しているNPO法人「Beautiful World」の小野ヤーナ代表に、支援活動の現状やウクライナへの思いを聞いた。
(楠 佳那子:フリー・テレビディレクター)
温泉の街として知られる大分県・別府市。JRの駅から徒歩5分ほど、昭和の面影を残す商店街に、ウクライナの家庭の味を堪能できる小さなカフェがある。その名も「リトルウクライナ」。近くには居酒屋や飲食店、昔ながらの洋服店などが並ぶ。
この店の運営を行なっているのは、ウクライナ・ハルキウ出身の小野ヤーナさん(42)だ。小野さんは、NPO法人「Beautiful World」の代表を務め、日本に暮らすウクライナからの避難民の支援活動を行なっている。元々は旧ソ連構成国から成る「独立国家共同体(CIS)」諸国の障がい者支援を目的に設立されたNPOだが、ウクライナ大使館から要請を受け、ウクライナの避難民支援活動を開始した。
小野さんが日本を初めて訪れたのは2002年。当時、ハルキウで学んでいた日本人の友人を通じて金沢にホームステイをした。2004年、ウクライナの大学卒業後、別府市にある立命館アジア太平洋大学(APU)に進学。卒業後は横浜の自動車輸出会社で働き、その後九州で英語教師として勤務ののち、このNPOを立ち上げた。
出入国在留管理庁の統計によれば、今年1月31日現在、国内のウクライナ避難民入国者数は2747人、在留者数は1982人だ。そのうち、大分県に在留するのは28人である。
大学で出会った日本人の男性と結婚した小野さんは、ロシアによるウクライナ侵攻当時、長崎県の壱岐島に暮らしていたが、避難民支援のため別府市に移住した。小野さんは現在、NPOの活動と共に、別府市役所を通じて地域に暮らす外国人の子供たちの学校での適応支援を行なっている。
小野さんの志を支援すべく、妹とともに米国で暮らしていた両親も別府に移住してきた。両親は共に66歳で、父親のオレクサンドル・ビロボッズキーさんはエンジニア、母親のニーナ・ビロボッズカさんは内科医としてハルキウで生活していた。

カフェを切り盛りするのは両親と、避難民の女性たち2人。ウクライナの料理を持ち寄って提供している。リトルウクライナは人通りの少ない場所に位置しているため、オレクサンドルさんとニーナさんは、別府駅の改札口のコンコースで時折小さな出店を出し、ピロシキなどを販売して店の宣伝を行なっている。
侵攻から3年。人々のウクライナへの関心も薄れた今は戦争当初に比べ、支援額は2022年の年間支援額から8割減ったという。戦争も4年目を迎え避難民が疲弊する一方、物価高により金銭的な支援をしたくてもできない日本人もいるだろう。それでも、今の日本人にもできる支援の形があるという。別府に暮らすウクライナの人たちが願う支援とはどんなものか。小野さんに、希望や課題を聞いた。