出羽島の歴史は日本の漁業史そのもの
遠洋漁業の島として栄えた歴史もあり、島で育った男性は中学を出るとそのまま船乗りになった。
70歳以上の島の男性に話を聞けば、ハワイ沖で時化に遭って死にかけた話、大西洋や地中海、遠く南米まで公開した話がごろごろと出てくる。
「やっぱり本マグロやな。そのために、オーストラリアの南に行くんですね。オーストラリアから2日くらいかけて。でも、そこはいつも時化でね。うかうかしよったら流されてしまう。何杯も、あそこで沈んだんじゃないですかね」
「ハワイを出て3日目、ミッドウェー島の辺りでものすごい時化にあって。もう信じられないような波」
「わしも世界中の海に行ったで。インド洋から太平洋、赤道直下のところまで。スペインのラス・パルマスも行った」
その後、200海里水域の設定によって遠洋漁業が衰退すると、島の男性の多くはマグロ船を降り、内航海運やタンカー船の乗務員になるか、出羽島に戻り、沿岸漁業の漁師になった。
島に戻らず、マグロ漁で滞在していた三崎漁港(神奈川県)に腰を落ち着けた人も少なくない。