孤独だった三浦を救ったサッカー部の恩師の言葉(写真:GYRO_PHOTOGRAPHY/イメージマート)

「Choose Your Life」を旗印に10代、20代向けのキャリア支援を展開しているハッシャダイソーシャル。設立当初は、代表理事を務める勝山恵一と三浦宗一郎が体一つで全国の学校や施設を回っていたが、最近では社会課題に関心を持つ同世代の仲間や教育現場の教職員、そして二人に影響を受けた10代、20代の若者がその輪に加わるなど、その活動は大きなうねりになりつつある。

 なぜ人々は二人の下に集まるのか。なぜ10代、20代の若者は彼らの言葉に耳を傾けるのか──。札付きの不良だった男と自動車工場の元工員、その仲間たちが巻き起こしている「挑戦」の記録(第3話)。

 不良を地で行く勝山惠一とは違って、三浦宗一郎はどこにでもありそうな、“普通”の家庭で育った。

 生まれは愛知県豊田市。トヨタ自動車が本社を置く企業城下町である。小学校や中学校の同級生はトヨタやその関連会社で働いている家の子どもが多かったが、三浦の家は祖父の代から続く土木会社を営んでいた。

 子どものころから快活だった三浦は、常に同級生を盛り上げる側の人間だった。小学3年から中学3年までずっと学級委員で、サッカー部でもキャプテンを務めていた。体育祭のときも、クラスの誰よりも張り切って盛り上げた。

「どこのクラスにもいますよね。元気に仕切りたがる男子って。まさに、そんな感じの子どもでした」

 二人とも基本的に明るく楽しい陽キャだが、ロジカルに物事を突き詰めようとする勝山に対して、「みんなで楽しもうぜ」とばかりにノリと勢いでまわりの人を巻き込んでいくのが三浦の本質だ。この組み合わせが今のハッシャダイソーシャルの強みになっているが、それは後の話である。

 プロ野球選手になるという夢を捨て、自暴自棄になっていた勝山に対して、三浦は「教師になる」という明確な夢を持っていた。ほかの人に元気を与えるような存在になりたい。人の人生に関わるような仕事をしたい。そう思っていた三浦にとって、教師が一番近い存在に映ったのだ。

 現に、中学3年の進路面談のとき、担任に「教師になりたい」と相談している。

 ただ、その夢が実現しそうにないことも、三浦にはわかっていた。2009年に起きたリーマンショックの余波で、父親の経営していた土木会社が傾き、家計が火の車になっていたからだ。

リーマンショックは三浦の人生にも大きな影響を与えた。写真は当時のガイトナー米財務長官と、FRBのバーナンキ議長(写真:ロイター/アフロ)リーマンショックは三浦の人生にも大きな影響を与えた。写真は当時のガイトナー米財務長官と、FRBのバーナンキ議長(写真:ロイター/アフロ)