将軍継嗣問題の決着と一橋派の敗北

 安政5年6月7日、西郷隆盛が松平春嶽の書状を持参して帰藩し、斉彬は将軍継嗣が慶福(家茂)に決定したことを確認した。斉彬は松平春嶽宛書簡(6月9日)の中で、一橋

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