1990年にドイツ統一を実現したコール首相(当時)は、旧東ドイツは、「花咲く土地になるだろう」と述べ、この地域が経済的に繁栄すると予言した。

 だが統一が大半の旧東ドイツ人たちにもたらしたのは、花咲く土地ではなく、絶望と不安だった。「ドイツ信託公社」の指揮の下に、旧東ドイツの国営企業は解体、縮小され、産業基盤が破壊された。社会主義時代には東ドイツの失業率は、事実上ゼロだったが、ドイツ連邦労働局によると、統一から最初の2年間に約100万人が失業した。1997年から2006年までの9年間には、旧東ドイツの就業可能者の約20%が失業した。

 ミュンヘンなど旧西ドイツの企業では、旧東ドイツから移住してきた優秀な若者たちが働いている。特に東ドイツでは数学教育に力を入れていたので、その知識を生かして保険会社などで成功した人もいる。つまり能力がある人、やる気がある若者などは、旧西ドイツに移住した。1991年から2022年までに旧東ドイツから旧西ドイツに移り住んだ市民の数は120万人にのぼる。旧東ドイツでは経済状態の回復が遅れたからだ。今でも旧東ドイツに本社を持つ大企業の数は少ない。

 若者の西側への移住の結果、旧東ドイツ市民の平均年齢は1990年の37.9歳から2017年には46.3歳に上昇した。旧西ドイツの平均年齢(44.1歳)を上回っている。

 オシュマン氏は、本の終章で、「現状を改善するには、旧東ドイツ人と旧西ドイツ人が胸襟を開いて率直に語り合い、お互いを理解するように努めるべきだ」と語っている。やや常識的すぎる締めくくりだが、統一から34年も経っているのに、このような常識的かつ基本的な処方箋を提案せざるを得ないということが、逆に東西間の心の分断の深さを浮き彫りにしている。

 私はこの本を読んで、1989年の11月に経験した出来事を思い出した。当時私はNHKのワシントン特派員だった。私はベルリンの壁崩壊の10日後、ワシントンからベルリンに派遣された。NHKにはドイツ語で取材できる記者が少なかったからである。

 私はある晩、取材を終えてホテルに戻るためにタクシーに乗った。運転手は西ドイツ人だった。私は「壁が崩壊してよかったですね」と言った。すると運転手は、「私は全く嬉しくない。やつら(東ドイツ人)は、ドイツ人ではないんだから」と言った。壁によって28年間分断されていたとはいえ、ドイツ人はドイツ人じゃないか……。当時の私には、この運転手の考え方が理解できなかった。強い偏見と差別意識にゾッとした。

 だがオシュマン氏の本を読んで、1989年に私が耳にした差別的感情が、一部の旧西ドイツ人の心に巣食っていることを感じた。

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