オシュマン氏が「メルケル氏の辞任直前の演説」として言及しているのは、メルケル氏が2021年10月3日の統一記念日に行なった、首相としての最後の演説である。メルケル氏によると、CDUの研究機関コンラート・アデナウアー財団は、2020年に出版した本の中で、「社会主義時代のバラスト(重荷)を持って、35歳でCDUに入党したメルケル氏は、もちろん旧西ドイツでゼロから始めた職業政治家とは違っていた」と書いた。
メルケル氏は演説の中で「ドイツで権威ある辞書ドゥーデンによると、バラストとは重量のバランスを取るために使われる、価値の低い物であり、必要がなくなれば捨てても良いものと定義されている。私が東ドイツで過ごした35年間は、捨てても良い無価値なものだったというのか?」と述べ、旧西ドイツ人たちの見方に反発した。
さらにメルケル氏は、「2015年の難民危機の際に、一部の人々は、私を『ドイツ連邦共和国に生まれたのではなく、ドイツ市民になることを後から学んだ人物』と呼んだ。ドイツには、生まれながらのドイツ人と、後から学んだドイツ人の2種類のドイツ市民がいるというのだろうか? 後から学んだドイツ人は、毎日試験に落第する危険にさらされているのだろうか?」と述べ、旧東ドイツ人差別を批判した。メルケル氏が16年の首相としてのキャリアの中で、旧東ドイツ人に対する差別を糾弾したのは、この時が初めてである。
ちなみにメルケル氏は、現在CDUとほぼ絶縁状態にある。現党首のフリードリヒ・メルツ氏から会合などに招かれても、一切出席しない。旧東ドイツ人・メルケル氏は現在のCDUの舵を取っている保守本流からは、脱原子力やシリア難民の受け入れなどをめぐり国の政策を誤った「異端」と見なされている。
東西統一で貧乏くじを引いた旧東ドイツ人
オシュマン氏によると、ドイツ統一後、多くの東ドイツ人が役所、企業、大学などの責任ある地位から一掃された。その後には旧西ドイツ人が採用された。この結果、ドイツの大学の学長や企業の社長など、責任が重い役職についている旧東ドイツ人の数は少ない。先述の通りオシュマン氏は2011年に、ライプチヒ大学のドイツ文学研究所で、現代ドイツ文学課程の教授職を得たが、旧東ドイツ人としては初だった。彼はその理由を、「私は1990年代に米国に留学したので、社会主義時代のイデオロギーに汚染されておらず、西側に順応した旧東ドイツ人と判断されたためだろう」と推測している。
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