ロシアの反体制派指導者、アレクセイ・ナワリヌイ氏が死去したことで、ロシアの反プーチン派の動向に注目が集まっています。長く権勢を誇るプーチン大統領の手で反対派は事実上根絶やしにされたとも言われていますが、実際はどうなのでしょうか。今週末の3月17日が投票締め切りとなるロシア大統領選を前に「反プーチン派」のこれまでを、専門記者グループのフロントラインプレスがやさしく解説します。
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獄中死したナワリヌイ氏の妻、「反プーチン行動」呼び掛け
ナワリヌイ氏は今年2月16日、極北の刑務所で死亡しました。法廷侮辱罪や反体制派団体を創設した罪などで禁固刑を受けて収監中でした。
死因については「突然死症候群」「血栓によるもの」とするロシア当局の見解が伝えられています。一方、欧米の人権団体などは何らかの方法で殺害されたのではないかとの見方を捨てていません。
ナワリヌイ氏は野党の指導者として国民の人気も高く、「プーチンが最も恐れた」「不屈の男」などと形容されました。突然の死後、妻のユリア氏は夫の遺志を引き継ぎ、ロシアに自由と民主主義、人権擁護を浸透させると宣言。大統領選が近づいた3月6日にはSNSで「次の大統領選の結果は作り話だ。プーチンは投票結果をいくらでも操作できる」と語り、ロシア国民に大統領選の最終日を「反プーチン行動」とするように呼び掛けました。
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ただ、ユリア氏自身の呼び掛けが功を奏するかどうかは不透明です。大統領選には有力な対立候補が出馬できておらず、得票率80%以上を狙っているとされるプーチン氏の圧勝は確実な情勢なのです。
プーチン氏は2000年5月に大統領となると、メドベージェフ大統領時代(2008〜2012年)を除いて大統領の椅子に座り続けてきました。そのメドベージェフ時代も自らは首相に就き、事実上の“院政”を敷きました。
よく知られたように、プーチン氏はソ連時代の情報機関KGB(国家保安委員会)の出身で、ソ連崩壊後の新生ロシアではFSB(連邦保安局)の長官を務めています。一貫して情報畑を歩んでおり、大統領就任後も警察や情報機関の関係者を積極的に登用。2016年には大統領直属の「国家親衛隊」を創設するなどして、政府内部の統制をより強固にしています。
四半世紀に及ぶこのプーチン時代の結果、これまでに多くの「反プーチン派」が暗殺されたり、投獄されたりしてきました。