有罪立証に有利な証拠しか提出されない

 人質司法だけが冤罪の要因ではありません。捜査段階で証拠を誤って鑑定してしまうことも要因の1つです。足利事件では、被害者の女児から採取された加害者のDNAが菅家さんのものと一致したとされましたが、当時のDNA鑑定そのものが相当に精度の低いものでした。

 さらに捜査当局が容疑者・被告人に有利な証拠を隠し、公判に提出しないこともあります。痴漢冤罪を扱った映画「それでもボクはやっていない」(2016年)を世に送り出した周防正行監督は、昨年11月の朝日新聞のインタビューで「多くの人は『やっていないことはやっていないと言えば済む』と思っているかもしれませんが、そうではない」と語り、次のように指摘しています。

「驚いたのは『証拠は全て見られるわけじゃない』ということです。痴漢事件でも警察は色々な証拠を集めている。被疑者のDNA型鑑定とか、指先に繊維が付着していないかとか。ところが公判ではそれらの証拠が提出されないことがある。弁護士に聞いたら、『検察官は有罪立証に使えるものしか出してこない』と言われ、えー!と思いました」

 ひどい例では、証拠の改ざんやねつ造が行われることもあります。再審公判の始まった袴田事件では、有罪の決め手とされた血染めの衣類が事件から1年2カ月後に現場だった味噌醸造所の味噌樽の底で「発見」されましたが、警察によって意図的に樽の底に沈められたのではないかと強く疑われています。

 最近でも大阪地検特捜部の検事が証拠のフロッピーディスクを改ざんし、無実の人を犯罪者に仕立て上げようとした「郵便不正・厚生労働省元局長事件(村木事件)」などがありました。警察や検察が客観的な捜査を行わず、自らの都合で証拠を歪めることは許されるはずありません。それ自体が犯罪です。