帝国を支えた「アジア」の存在
イギリスは17世紀から18世紀前半にかけて、北アメリカや西インド諸島を植民地支配し、「帝国」化する。さらにインドを植民地支配下に置いた19世紀に「国王称号法」を定め、公文書の中で正式に「女帝」という言葉を使用した。
そのイギリス帝国の発展を支えたのは「アジア」であった。地理的にイギリスとアジアは遠く離れているものの、大きかったのはやはり「インド」を支配していたこと。大西洋に軸足を置きつつも、イギリス東インド会社がアジア諸地域で着々と勢力を拡大していたのだ。
計算高い立ち回りによって影響力を拡大
イギリス帝国はアメリカ独立戦争によって北米での領土支配を失っている。とはいえ、18世紀後半にはフランスやオランダですら未完だった「世界貿易ルート」を構築していたことがその後の発展に寄与した。
イギリスが帝国として発展できたのは、北米植民地の「オルタナティブ/alternative」つまり「代わり(代替)」となるものを、早い段階で準備していたことが非常に大きかったといえる。
さらに唸らされるのが、イギリス帝国の「計算高い」とも言える立ち回りだろう。秋田氏いわくアジアの巨大な帝国が衰退し始めると、そのタイミングを巧みに利用。表面的には「共存」のかたちを取りつつ、自らの地位を強化して影響力が及ぶ範囲を拡張していったという。
アジアの力が強いときにはそれほど押していかず、力が弱まってきたときに、すかさずその勢力を拡大。そして国を滅ぼすような戦争はせず、うまく経済圏だけを自分に有利なように持っていった、ということである。