イギリス帝国の衰退を招いた「意識の変化」とは
イギリス帝国は貿易の成功に加えて、18世紀後半に「産業革命」を迎えている。それだけ劇的な発展を遂げていながら、なぜ「衰退」の道を歩み始めたのだろう。
鍵となるのは、第一次世界大戦後に起きたナショナリズムに対する意識の変化。そのきっかけとして、世界全体に「それぞれの民族は自らの運命を自ら決すべき(民族自決の原理)」という考えが広まったことを挙げている。
十九世紀的な支配の仕方、つまり、アジアは遅れているのだから、彼らが成長してくるまでは「シビライジング・ミッション(civilizing mission)/文明化の使命」に従って、彼らを保護してやる必要がある、というイギリスがそれまで言っていた論理の正当性が問われることになったのだ。
さらに「民族自決の原理」を加速させたのが、世界恐慌によって経済的苦境に立たされたアジアが「脱植民地化」に向かったことだった。第二次世界大戦時には英領インドの「戦争協力」を得られたものの、イギリスが軍を完全にコントロールしていたとは言い切れない。
大戦終結からわずか2年後、英領インドはインドとパキスタンに分離するかたちで独立している。
島国が植民地支配によって勢力を拡大し栄華を極め、その後、脱植民地化の流れによって徐々に影響力を失っていったイギリス帝国。秋田氏の『イギリス帝国盛衰史』は、覇権が移り変わる国際政治の流れを読み解き、整理する上で有益な一冊だ。