終末期の人にどう対応するか。高齢化社会における大きな課題だ(写真:Motortion Films/Shutterstock.com)終末期の人にどう対応するか。高齢化社会における大きな課題だ(写真:Motortion Films/Shutterstock.com

日本人にはあまり想像のつかない「安楽死」の実情。安楽死が合法化されている国では、社会福祉の代替案として捉えられるほど安楽死が拡大・浸透しているという。そうした国では病に苦しむ個人の問題ではなく、もはや社会全体の問題として捉えているようだ。『安楽死が合法の国で起こっていること』(児玉真美著、ちくま新書)では、賛成か反対かを考える前にまず知っておくべき安楽死の現状を解説している。

(東野 望:フリーライター)

混同されやすい「安楽死」と「尊厳死」

 今回紹介する『安楽死が合法の国で起こっていること』(ちくま新書)は、安楽死の合法化に賛成か反対かを問う内容ではない。本書は、賛成か反対かを考える前に知っておくべき多くのことを紹介している。

 まず、賛成か反対かを論じる前に「安楽死」の意味や「尊厳死」「医師幇助自殺」との違いを説明できるだろうか。本書の筆者で、一般社団法人日本ケアラー連盟代表理事を務める児玉真美氏によると、日本では「安楽死」と「尊厳死」が混同されるケースが多いという。

日本で言うところの「尊厳死」とは、一般的には終末期の人に、それをやらなければ死に至ることが予想される治療や措置を、そうと知ったうえで差し控える(開始しない)、あるいは中止することによって患者を死なせることを指す。(中略)それに対して「安楽死」は、医師が薬物を注射して患者を死なせることをいう。

 同様に混同されやすい「医師幇助自殺」は、医師が薬剤を入れた点滴を施し、そのストッパーを患者自身が外すといった方法だ。あくまで「自殺」であるため、薬を飲む、点滴のストッパーを外すといった最後の行為は患者自身によっておこなわれなければならない。

『安楽死が合法の国で起こっていること』(児玉真美、ちくま新書)安楽死が合法の国で起こっていること』(児玉真美著、ちくま新書)

スイス医師会の出したガイドラインから分かること

 言葉の違いを正確に理解していなかったことに気づかされるとともに、「安楽死」「尊厳死」「医師幇助自殺」のどの場合においても、医療従事者にかかる心理的負担を全く考えたことがなかった点にも思い至る。

 一般的に安楽死が語られる場合、死を望む人の苦しみに焦点を当てる場はあっても、死を与える立場になる人の苦しみや葛藤が語られる場は少ないのではないだろうか。

幇助自殺の場合、医療従事者の心理的負担も考慮すべき点だ。写真はイメージ(写真:Kitreel/Shutterstock.com)幇助自殺の場合、医療従事者の心理的負担も考慮すべき点だ(写真:Kitreel/Shutterstock.com

 例えばスイスは自殺幇助による安楽死が合法化されている国の一つで、海外からも医師幇助自殺を求めて訪れる人がいる。しかし、スイス医師会は次のようなガイドラインを出している。

…死にゆくことと死の管理における医師の真の役割とは、症状を緩和し、患者を支えることである。医師の責任の中には自殺幇助を申し出ることは含まれないし、また医師には自殺幇助を実施する義務もない。自殺幇助は法的には許されている行為だとしても、患者が権利を訴えられるような医療行為ではない。

 医師幇助自殺の件数が増加することで、幇助自殺に対する義務や権利の考え方が変わっていくことへの憂慮が感じられる。