社会に不可欠な仕事をすると処遇が悪い?

 ところが、不可思議なことに、こうしたエッセンシャルワーカーの多くは、あとで詳しく見るように、働く条件が悪化しつづけてきた。コロナが猛威をふるう中であっても働き続けてほしいと政府が要請した、社会に不可欠な仕事をしている人々の多くは、低い処遇で苦労しつつ、日々の仕事を頑張って行ってきたのである。

 これらの仕事の担い手がいなければ、私たちは生活を無事に順調に営めない、にもかかわらず、そうした人々の働く条件が悪い。このことについて、デヴィッド・グレーバーは『ブルシット・ジョブ―クソどうでもいい仕事の理論』の中で以下のように問いを投げかけている。

「ある職種の人間すべてがすっかり消えてしまったらいったいどういうことになるだろうか」と彼は問う。もしも朝起きて、看護師、バス運転手、ゴミ収集人、保育士、小学校教師、料理人、整備工、大工、港湾労働者らが消えてしまったとしたら、世の中は「ただちにトラブルだらけ」の「壊滅的」状況になるだろう、と彼は書いている。また作家やミュージシャン、アーティストの消えた世の中も、「陰鬱で息苦しい」、「つまらない」場所になるだろうとする。

 彼らは「本物の仕事(リアル・ジョブ)」をしており、「他者に便益をもたら」し、「世の中に意味のある影響を与える」存在である。ところが、それにもかかわらず彼らの「報酬や処遇はぞんざい」で、「冷遇されている」現状がある。

 その反対の位置にいるのが、ファンドマネジャーや金融コンサルタント、企業ロビイスト、顧問弁護士、広告担当役員などである。これらの仕事は、たとえ消えたとしても社会生活に影響を与えないものだが、彼らは「最も高給取りで、きわめて優良な労働条件」のもとにある。しかし、グレーバーによると彼らは「本当は必要ないと内心考えている業務の遂行に、その就業時間のすべてを費やす」という、無意味な「ブルシット・ジョブ(クソどうでもいい仕事)」を行っている。彼ら自身も、自分が他者に便益をもたらす功績をはたしていないことにひそかに気づいているという。

 つまり、労働が他者の助けとなり、人々に便益をもたらし、社会的価値があるほど、それに与えられる報酬はより少なくなる。その反対に、無意味で他者の便益にならない労働ほど報酬が高くなる。仕事の社会的価値と支払われる報酬との間には、「倒錯した関係」があるとグレーバーは指摘している。

 一体何が起きているのだろうか。なぜそのようなことになっているのだろうか。仕事が不可欠で価値があればあるほど、仕事をする人が軽んじられるというこの矛盾はどこから来ているのか。グレーバーのいう「倒錯した関係」はいかなる要因から形成されたのか。それを正常に戻すことができるとすれば、私たちは何をすべきなのか。