仲本工事さんと純歌さん仲本工事さんと純歌さん(純歌さん提供)

 昨年の10月19日夜22時過ぎ、ザ・ドリフターズのメンバー仲本工事さんが入院先の横浜市内の病院で息を引き取った。享年81歳であった。

 前日の18日朝9時ごろに横浜市保土ケ谷区にある交差点近くの道路を横断中、ワゴン車にはねられ頭部を強く打った仲本さんは、救急車で病院に搬送され手術を受けたものの、意識は戻らず、そのまま天国に旅立ってしまったのである。

 ただ、この交通事故には、そこに至るまでの“伏線”があった。それを理解しないと、その後に巻き起こった仲本さんの“妻“純歌さんへの大バッシングの経緯も分からなくなる可能性があるので、仲本さんの一周忌を機に、事故当時の状況と、それに伴う仲本さんの行動を振り返ってみたいと思う(以下、敬称略)。

第1回 不意に襲ってきた週刊誌報道と格闘しながら迎えた最期
第2回 苦悩の末に電話、週刊誌に「告白」した娘との会話
第3回 警察官まで駆け付けた!週刊誌記者との路上での口論
第5回 仲本さんの死後も止まなかった純歌さんへのバッシング報道

約束の時間にやってこない仲本、純歌が頼った友人

 10月18日火曜日の早朝に「来る」と言っていた仲本は9時を過ぎても10時になっても横浜の純歌のアパートに現れなかった。純歌は何度か仲本の携帯にかけてみたが留守電になるばかりで通じなかった。こんなことは初めてのことなので胸騒ぎがしていた。

「西さん、仲本さんが来ないのよ。急に体調が悪くなったのか、事故にでも巻き込まれてしまったのか…」

 純歌は夫婦ぐるみの付き合いで、何かと相談に乗ってもらっている西研一に電話をかけて事情を説明した。彼は目黒区自由が丘の生まれ育ちで、小中学校も地元に通っていた。その地域には仲本が暮らしていた自宅もあったし、居酒屋も経営していたので西は週に半分程度は深夜まで仲本に付き合うほど親しい間柄となっていた。仲本よりは20歳近くも年下であるが、会社を経営しており、比較的自由な時間が取れる。仲本と同じく温厚な性格であり、頼まれれば断ることをしないので常連客のなかでも頼りにされていた。

「分かりました。ちょうど仕事がヒマになったので、こちらから向かってみましょう」

「本当に申し訳ありませんが、宜しくお願いします」

 川崎市内に西の会社の営業所があったので横浜や川崎には詳しいし、何度も仲本と一緒に純歌の横浜の店にも顔を出していたので、仲本がどのようなルートを辿るのかは分かっていた。第三京浜の出口で降り、三ッ沢公園脇の急な下り坂を降りて行ったが途中の道路では交通事故は起きていないようだった。仲本が普段停めている純歌のアパート近くの駐車場を周ってみたが、仲本の車はなかったので他の駐車場に回ってチェックをしだした。