仲本工事さんと妻・純歌さん(純歌さん提供)

 昨年の10月19日夜22時過ぎ、ザ・ドリフターズのメンバー仲本工事さんが入院先の横浜市内の病院で息を引き取った。享年81歳であった。

 前日の18日朝9時ごろに横浜市保土ケ谷区にある交差点近くの道路を横断中、ワゴン車にはねられ頭部を強く打った仲本さんは、救急車で病院に搬送され手術を受けたものの、意識は戻らず、そのまま天国に旅立ってしまったのである。

 ただ、この交通事故には、そこに至るまでの“伏線”があった。それを理解しないと、その後に巻き起こった仲本さんの“妻“純歌さんへの大バッシングの経緯も分からなくなる可能性があるので、仲本さんの一周忌を機に、事故当時の状況と、それに伴う仲本さんの行動を振り返ってみたいと思う(以下、敬称略)。

第1回 不意に襲ってきた週刊誌報道と格闘しながら迎えた最期
第3回 警察官まで駆け付けた!週刊誌記者との路上での口論
第4回 約束の時間に現れなかった仲本工事
第5回 仲本さんの死後も止まなかった純歌さんへのバッシング報道

「8時だョ!全員集合」スタート

 国民的人気番組だった「8時だョ!全員集合」は視聴率が50%を超えることもあったお化け番組で、いかりや長介をリーダーに荒井注、高木ブー、そして仲本工事、加藤茶の5人のメンバーで1969年にスタートした。74年に荒井がドリフを脱退すると、志村けんが新たに加入。「全員集合」は16年間もの長い間放送されたのである。

「全員集合」では加藤茶や志村けんがお茶の間の人気を博していたが、仲本はそれほど目立つこともなく控えめな立ち位置に終始していた。これはリーダーのいかりやの作戦だった。加藤や志村が客を大爆笑させているときに脇で冷めた目で見ている仲本がポツリと毒を吐くと笑いが増大するこをといかりやは知っていた。また、普段は優等生を演じている仲本が権威者として君臨するいかりやに逆らうのも、ドリフのコントの定番となっていた。

1967年、映画初主演を果たした ザ・ドリフターズの面々。左から加藤茶、いかりや長介、高木ブー、荒井注、仲本工事1967年、映画初主演を果たした ザ・ドリフターズの面々。左から加藤茶、いかりや長介、高木ブー、荒井注、仲本工事(写真:共同通信社)

 そして仲本工事といえば、何といっても「体操」のコーナーだろう。この人気コーナーは仲本がいなければ成立しなかった。仲本がマット運動や飛び箱で華麗な技を披露しつつ、ゲストの女性歌手たちが悪戦苦闘する様は、大いに笑いが取れるおいしいコーナーだった。仲本はここで抜群の運動神経を披露していた。