沖縄出身の両親の下で東京で生まれた一人っ子の仲本は、小さいころから親の言いつけを守る“良い子”だったという。

 渋谷区内の中学校時代は体操部に所属、東京都で団体優勝も経験している。さらに進学校である都立青山高校時代にも体操で東京個人4位に輝いた。当時の日本は「体操ニッポン」と呼ばれるほどの体操競技の黄金時代で、世界のトップに君臨していたといってもよい。そのさなかに体操競技で好成績をマークしていた仲本には1964年の東京オリンピックに出場できる可能性もあった、と「全員集合」放送当時の週刊誌に書かれている。

 同時に、都立青山高校時代には勉学のほうも優秀で、学年で一けたの成績だったという記事もある。実際に仲本はその後、学習院大学政治経済学部法律学科へ進み、将来は弁護士を目指そうと考えていた。体操を続けようという気持ちもあったが、「大学にいったら体操部がなかった」と、仲本本人が当時の週刊誌のインタビューに答えている。だが、本気で体操を続けるつもりなら入試の前に確認しないはずがないから、これは多分にリップサービスだったのであろう。

仲本夫妻を良く知る渡部絵美も訝しがった新潮記事

「これは酷い記事だわね。ゴミ屋敷なんてねぇ」

 しばらくするとネットニュースを読んだ絵美から電話が返ってきた。

「そうだろう? 別居のことについてだって、純歌さんが仲本さんと別の部屋で生活し始めたのはボクも知っていたし、常連客だって皆知っていたことでしょ。しかも仲が悪くての別居じゃないことも分かっていたからね」

「そうよね。夫婦間のことは当事者にしか分からないし、そもそも夫婦間のことを他人がとやかく言うものじゃないでしょう。それに、仲本さんが別居暮らしを了承していんだから、そもそも記事にはならないでしょうに」

「そうだよね。ボクもそう思うんだけど、娘さんの告白を免罪符的に使っているような気がする」