金子勝彦さん(写真:共同通信社)

 8月29日の朝刊の死亡欄に目をやって思わず手が止まった。そこには東京12チャンネル(現・テレビ東京)のアナウンサーだった金子勝彦さんが88歳で亡くなったことが報じられていた。8月20日に肺炎のために死去したというが、一つの時代が終わったという寂寥感に胸がいっぱいになってしまった。

「サッカーを愛する皆さまご機嫌いかがでしょうか」

 金子さんは1968年から88年まで20年続いた「三菱ダイヤモンドサッカー」の司会アナウンサーとして当時サッカー日本代表コーチだった岡野俊一郎さんとのコンビで日本にサッカーの種を撒き続けた大きな功績がある。

 日本がW杯へ出場できることなど夢のまた夢の時代にこの番組は始まった。欧州のサッカーリーグの試合をピックアップし、2週で1試合分を紹介していたが、当時の小中高生でサッカーをしている者たちにとっては必見の番組であった。インターネットによって世界中の情報が瞬時に入ってくる時代ではなく、欧州に日本から届く新聞は1週間遅れが当たり前であった。当然のことながら欧州のサッカーの情報すら乏しかった時代であり、「ダイヤモンドサッカー」で選手のプレーを繰り返し見ようとしても家庭にビデオを所有している者などいない時代だったのである。

「ダイヤモンドサッカー」の番組を見て、学校でそのプレーの凄さを話し合うのがサッカー少年たちの学校生活であった。足元にピタッと吸い付くようなトラップの妙技に驚いたことも思い出すし、パスの速さにも目をみはったものである。

「サッカーを愛する皆さまご機嫌いかがでしょうか」

 番組の冒頭は金子さんのこんな挨拶で始まり、これが定番となった。

「サッカーは1分もあれば得点できるスポーツですから」

 岡野さんはこんなフレーズをよく口にした。