「ファタハはイスラエルよりもタチが悪い」
当時、ガザ地区ではハマス支持者が急増していた。PLO(パレスチナ解放機構)の主流派「ファタハ」による権力の独占と政治の腐敗がガザ地区の住民を怒らせていたのだ。
町の若者が不満をぶちまけた。
「国連からの援助のほとんどがPLOの幹部達の懐に入っている。ファタハはイスラエルよりもタチが悪い」
確かにヨルダン川西岸に比べ、ガザ地区には貧困層が多かった。町の様子も明らかに違った。ヨルダン川西岸では賑やかな笑い声が聞こえていたが、ここにはそういった笑顔はない。ビルの建ち並ぶ中心部のすぐ脇に見えるのは、でこぼこの穴だらけの道、トタン屋根の家が並ぶ路地、垂れ下がった電線。その日は雨が降っていたので、なおさら町の雰囲気は沈んでいた。人々は長く続く紛争に疲れていた。
ハマスはこの疲れ果てたガザ地区で医療、教育、食糧支援、などの活動を行い住民の支持を集めていたが、また、当時の主流派であったPLO(パレスチナ解放機構)の柔軟路線を否定し、“侵略者”イスラエルへのジハード(聖戦)を宣言していた。かつてイスラエルの侵攻によってパレスチナでは多数の難民が生まれた。ここはパレスチナ人にとっても「神から与えられた土地」だ。侵略者とは神の名にかけても戦わなければならない。
つまりハマスとイスラエル双方の間には話し合う余地もないということだ。その話し合う余地もない中で、ハマスによるテロ攻撃は続いていた。そしてハマスがテロ攻撃を起こすたびに、イスラエルは報復攻撃として住民の家を容赦なく破壊していた。
