服部良一との師弟関係
『東京ブギウギ』によって歌謡界のスーパースターになった笠置ですが、早くからエンターティナーとしての彼女の才能を見抜いた功労者が作曲者でもある服部良一でした。
笠置と服部の結びつきは、すでに戦前からのもので、日本にジャズ感覚の大衆歌謡を誕生させたかった服部は、戦前、『ラッパと娘』『ホット・チャイナ』といったジャズ伴奏をバックにスキャット入りの早口ソングを笠置に提供、すでに『東京ブギウギ』の源流はこのあたりにありました。
戦時中、上海にわたって米国産の音楽を耳にしていた服部良一は本来のブギウギ(Boogie Woogie)を体験します。
ピアノの左手が「ドドミ(♭)ミソソラソ」のベース音をエイトビートのリズムで刻み、右手でコードや旋律を奏で、時には歌いながら演奏して周囲も自分も楽しむ。黒人たちによって生み出されたブギウギが、歌うための伴奏音楽というより彼ら自身が踊って楽しむための音楽だ、というブギウギの本質を知ることになります。
歌手自らが楽しみながら歌って踊る。この役割を全うできるのは、笠置シヅ子しかいない。服部は、自分の求める音楽に欠かすことのできない存在として笠置に白羽の矢を立てたのです。
笠置の明るいパフォーマンスは戦時下でも知れ渡りますが、その踊りが派手すぎて軍部ににらまれ、歌うスペースが制限されるというエピソードが残っています。
(参考)『ブギの女王 笠置シヅ子』(砂古口早苗、現代書館)
(編集協力:春燈社 小西眞由美)