取材・文=中野香織

 原題は「High & Low - John Galliano」である。上流階級からホームレスまで。洗練から俗悪まで。キャリアの絶頂からどん底まで。「ハイ&ロー」を表現し、「ハイ&ロー」な人生を生き抜いているファッションデザイナー、ジョン・ガリアーノのドキュメンタリーである。最高潮にハイになるショーの世界から、暴言に心が痛むローな世界まで、観ているほうの心もアップダウンする。

 ガリアーノの華々しいキャリアや、キャリアの絶頂に何が起きたのかというストーリーに関しては、すでにインターネット中に記事があふれているので詳しく触れない。代わりに、このドキュメンタリーを通して考えた、私的な偏りのある感想を記しておきたい。

 

グローバルに巨大化するファッションビジネスと、イギリスの個性教育

ジョン・ガリアーノ

 ガリアーノがキャリアを駆け上った1990年代後半から2000年代は、LVMHをはじめとするフランスのコングロマリットがグローバル化を猛烈に進め、巨大化していった時代である。〈稀少性を大量に世界中に売る〉という矛盾をはらんだラグジュアリービジネスを世界展開するには、実際の購買層は限られているとしても、すそ野への知名度は広がれば広がるほどいい。そこでコングロマリットの経営陣が求めるのが、クリエイティブな才能と人としての華を兼備するファッションデザイナーである。

 稀有で貴重なそんなデザイナーが、ジョン・ガリアーノであり、映画にもちらと登場するリー・アレキサンダー・マックイーンであった。彼らがセントラル・セント・マーチンズで教育を受けたイギリス人だったことは不思議でもなんでもない。個性をとがらせる教育を受け、低い階級もアウトサイダー的な出自もむしろ追い風にして、反骨精神をもって常識を揶揄できる個の強さを彼らは鍛えられてきた。

 ファッションの要諦は、「抵抗」や「反逆」にある。「エレガンスとは、抵抗である」という言葉を、ココ・シャネルもイヴ・サンローランも、元ヴォーグ編集長ダイアナ・ヴリーランドも遺しているが、従来の価値をなんらかの意味で覆すパワーの持ち主がファッションの世界を制してきた。フランスのエレガンスの王道をいくジバンシー、そしてエレガンスの総本山であるディオールを活気づける最高の妙薬が、挑発や反逆のスピリットの塊であったイギリスの鬼才であることを見抜いたLVMHのベルナール・アルノーの慧眼はさすが。彼は一部の保守的顧客の反感覚悟でクリエイティブなリスクをとった。

 結果、ジバンシーからディオールへ移ったガリアーノ、ガリアーノの移籍後ジバンシーを担ったマックイーンは、パリのエレガンスをロックに変え、ファッションシーンを盛り上げた。目論見が当たり、「半年ごとに利益が増大する」と笑うアルノーと対照的に、デザイナーは摩耗する。年30回を超えるコレクションに奔走していたマックイーンは2010年に自死し、ガリアーノは2011年に差別発言ですべての地位と名誉を失う。

 エキセントリックなイギリスの天才が、自ら選んだ「魂が喜ぶ」はずの仕事に没頭し、押しつぶされ、破滅に向かう様を見る切なさがある。マックイーンの選択やガリアーノの自暴自棄は、とりこまれて逃げることすらできなくなってしまった巨大なシステムに対する最後の反逆や抵抗にも見えてくる。

 ガリアーノ事件から10年経った2021年、LVMHはセントラル・セント・マーチンズと提携、「再生型の高級品のためのMaison/0」を立ち上げた。同社は教育への投資を通じて学生たちのプロジェクトを奨励するが、同時に、逸材をいち早く傘下のブランドに招き入れる最も確実な道を設置したことは言うまでもない。