NHK朝の連続テレビ小説『らんまん』の主人公・槙野万太郎は、世界的な植物学者・牧野富太郎博士をモデルにしているのは、周知のとおり。槙野万太郎は、幼少期を演じた森優理斗、少年期を演じた小林優仁、そして、青年期を演じる神木隆之介と、それぞれの俳優の好演もあり、聡く優しく、純粋に植物を愛する、大変に魅力的な青年であるが、万太郎のモデルである牧野富太郎とはどんな人物なのでしょうか。『牧野富太郎・植物を友として生きる』(PHP文庫)を上梓した鷹橋忍さんが、牧野富太郎の生涯を語ります。
文=鷹橋 忍
なぜ、矢田部教授は非職されたのか
要潤演じる田邊彰久教授のモデルと思われる矢田部良吉教授は、明治24年(1891)3月に非職(身分・地位はそのままで、職務を解かれること)を命じられた。
なぜ、矢田部は非職されたのか。
富太郎は自叙伝で、「帝国大学理科大学の学長・菊池大麓博士との権力争いが原因だったといわれていた」と言い切っている。
他にも、「遠因は色々と伝えられている」としたうえで、なかなかの西洋かぶれであり、鹿鳴館でダンスに耽っていた。
兼職で校長をしていた高等女学校の教え子を妻とした。
『国の基』という雑誌に書いた論説が物議を醸し出した。
新聞に矢田部教授がモデルと思われる小説が連載されたと述べているが、真相はあきらかではない。
矢田部教授の死
矢田部は明治27年(1894)3月に、免官となった。矢田部、43歳のときのことである。
翌明治28年(1894)には高等師範学校の教授に任じられ、明治31年(1898)4月には高等校長に就任している。
ところが、明治32年(1899)8月、矢田部は鎌倉由比ヶ浜で遊泳中に溺死した。享年48。
ドラマの田邊教授は大学を去ったのち、「私の植物学は終わった」と、あとを槇野万太郎に託したが、矢田部も高等師範学校へ移ってからは、少なくとも公には、植物学研究にかかわることはなかったという。
もし、矢田部が富太郎の植物学教室への出入りを許さなかったら、富太郎の、ひいては日本植物学界の未来は大きく変わっていただろう。