NHK朝の連続テレビ小説『らんまん』の主人公・槙野万太郎は、世界的な植物学者・牧野富太郎博士をモデルにしているのは、周知のとおり。槙野万太郎は、幼少期を演じた森優理斗、少年期を演じた小林優仁、そして、青年期を演じる神木隆之介と、それぞれの俳優の好演もあり、聡く優しく、純粋に植物を愛する、大変に魅力的な青年であるが、万太郎のモデルである牧野富太郎とはどんな人物なのでしょうか。『牧野富太郎・植物を友として生きる』(PHP文庫)を上梓した鷹橋忍さんが、牧野富太郎の生涯を語ります。

文=鷹橋 忍 

練馬区立牧野記念庭園にある、牧野富太郎の壽衛への俳句二句が刻まれた石碑とスエコザサ

冨太郎を支え続けた妻・壽衛

 ドラマの槇野万太郎の妻・浜辺美波が演じる西村寿恵子は、根津の和菓子屋『白梅堂』の娘であるが、牧野冨太郎の妻となる小沢壽衛もまた、菓子店の娘であった。

 壽衛は明治6年(1873)に、小沢一政の次女として、東京で生まれた。母親は「あい」という名の、京都生まれの女性であったという。

 父親の一政は、彦根藩主・井伊家の家臣で、明治維新後は陸軍に勤務していた。

 父親の存命中は広大な邸宅に住み、踊りや唄、お花やお茶を習うなど、壽衛の生活は恵まれていたようだ。

 ところが、父が亡くなると、邸宅も財産も失ってしまう。

 母・あいは生活のため、「小沢」という名の小さな菓子店を営んだ。壽衛も店を手伝っており、そこで冨太郎と出会うことになる。

 

壽衛との出会い

 一方で冨太郎は、彼の随筆によれば、明治21年(1888)、四度目の上京を果たした頃、麹町三番町(東京都千代田区)にあった、同郷の若藤宗則の家の二階に下宿していた。

 この下宿から本郷にある帝国大学理科大学の植物学教室まで、冨太郎は人力車で通っていたが、その途中の飯田町に、壽衛の母が営む菓子店があった。

 ドラマの万太郎と同様に、冨太郎もアルコール類は嗜まない。

 その代わり、かなりの甘党であった。壽衛の母が営む菓子店にも自然に目がいき、ときおり店先に座っていた壽衛を見そめたという。富太郎26歳、壽衛15歳の年のことである。