実家が経営不振に

 研究自体は、冨太郎が「親友」と呼ぶ池野成一郎らの尽力により、帝国大学農科大学で続けることができた。

 池野成一郎は明治23年に帝国大学理科大学植物学科を卒業し、翌明治24年に、帝国大学農科大学の助教授に就任している。

 この池野は、ドラマの前原滉演じる波多野泰久のモデルの一人ともいわれている。

 池野も波多野と同じように語学が堪能で、英語・フランス語・ドイツ語などに精通していた。冨太郎に対してはじめから誰よりも親切で、一緒に牛鍋をつつき合ったという。

 研究場所は確保したものの、今度は別の問題が発生した。

 自叙伝によれば、冨太郎は東京での生活費や研究費、出版費など、すべて実家からの仕送りでまかなっていたが、その実家が経営不振となったのだ。明治24年11月、冨太郎は財産整理のため、佐川に帰郷している。

 

矢田部教授の非職

 明治24年には、冨太郎にとって大きな事件が、もう一つ起きている。

 3月に矢田部教授が非職(身分・地位はそのままで、職務を解かれること)となったのだ(冨太郎の随筆では、冨太郎が帰省中の明治25年に「罷職に付された」とあり)。

 矢田部に何が起きたのだろうか。