日本植物学史に、その名を刻む

 翌明治22年(1889)1月には、以前に土佐で発見した植物を、今野浩喜演じる窪昭三郎のモデルと思われる植物学教室の大久保三郎とともに、「Theligonum japonicum Okubo et Makino」(テリゴヌム ヤポニクム オークボ エト マキノ)の学名をつけて、『植物学雑誌』に発表している(和名ヤマトグサ)。

 これは国内ではじめて、日本人が日本の植物の学名を発表した、植物学史に残る出来事であった。

 植物学者としての実力を発揮していた富太郎は、翌明治23年(1890)、まさに青天の霹靂というべき事件に見舞われる。

 要潤演じる田邊彰久教授のモデルと思われる矢田部良吉教授から、ドラマでも描かれたように、植物学教室への出入りを禁止されたのだ。

 

植物学教室からの追放 

 冨太郎の自叙伝によれば、矢田部は「『日本植物志図篇』と同じような本を出版することが決まったから、今後は大学の書物や標本を見せるわけにはいなかい」と宣告した。

 冨太郎は矢田部の私宅を訪れて、「今まで通り教室への出入りを許可してほしい」と訴えたが、聞き入れられなかったという。

 だが、ここで諦める富太郎ではない。彼は起死回生の一手を思いつく。ロシアの植物学者・マキシモヴィッチを頼っての、ロシア行きである。