NHK朝の連続テレビ小説『らんまん』の主人公・槙野万太郎は、世界的な植物学者・牧野富太郎博士をモデルにしているのは、周知のとおり。槙野万太郎は、幼少期を演じた森優理斗、少年期を演じた小林優仁、そして、青年期を演じる神木隆之介と、それぞれの俳優の好演もあり、聡く優しく、純粋に植物を愛する、大変に魅力的な青年であるが、万太郎のモデルである牧野富太郎とはどんな人物なのでしょうか。『牧野富太郎・植物を友として生きる』(PHP文庫)を上梓した鷹橋忍さんが、牧野富太郎の生涯を語ります。

文=鷹橋 忍 

現在の東京大学大学理学部の校舎 写真=フォトライブラリー

東京大学の植物学教室を訪れる

 明治17年(1884)、22歳の牧野冨太郎は、本格的に植物学を研究するため、故郷の佐川を後にして、二度目の上京を果たした。

 冨太郎は、現在の飯田橋駅付近である飯田町に下宿し、知人の紹介で、東京大学理学部の植物学教室を訪れている。

 このときの植物学教室のおもな研究者は、主任教授の矢田部良吉と、助教授の松村任三と大久保三郎であった。

 矢田部は要潤演じる田邊彰久教授、松村は田中哲司演じる徳永政市助教授、大久保は今野浩喜演じる講師の大窪昭三郎の、モデルと思われる。

 冨太郎に出会うまでの、三人の経歴を簡単にご紹介しよう。

 

要潤演じる田邊彰久教授のモデル? 矢田部教授

矢田部良吉

 矢田部良吉は伊豆国韮山(静岡県伊豆の国市)で、嘉永4年(1851)に生まれた。文久2年(1862)生まれの冨太郎より、11歳年長である。

 蘭学者を父に持ち、英学を大鳥圭介や、ドラマの田邊教授の台詞にもあったように中浜万次郎(ジョン・万次郎)に習った。

 明治3(1870)年に、外務省の役人として、のちに初代文部大臣となる橋本さとし演じる森有礼に随行し、アメリカに渡っている。

 だが、外務省を辞職し、コーネル大学の入学試験を受けて、合格。官費留学生となり、植物学を専攻する。

 ドラマの田邊教授もシダ植物を好きだと言っていたが、矢田部もコーネル大学在学中にシダ植物も研究したといわれる(大場秀章編『植物文化人物事典 江戸から近現代・植物に魅せられた人々』)。

 明治9年(1876)に帰国。翌年の東京大学の創設と同時に、理学部植物学科の初代教授に任じられた。25歳のときのことである。

 矢田部の講義は、英語で行なわれたという。

 矢田部は日本各地で採集した植物を、分類し、標本にするなど、植物分類の研究を進めた。