NHK連続テレビ小説『らんまん』が終わり、この連載も今回で終了となる。最後に前原瑞樹が演じた藤丸次郎、田中哲司が演じた徳永政市教授、中村蒼が演じた広瀬佑一郎のモデルと思われる人物の背景と、その後をご紹介したい。
文=鷹橋 忍
【田中(市川)延次郎】
南千住の酒店の長男
ウサギを可愛がる姿が印象的であった藤丸二郎のモデルと思われるのが、菌類学者の田中(市川から改姓)延次郎だ。
田中は、元治元年3月16日(1864年4月21日)に、東京の南千住にある酒店の長男として誕生した。文久2年4月24日(1862年5月22)生まれの牧野富太郎より、二歳年下である。
田中は謡曲が上手く、美男子で書も得意だったという(小林義雄「田中延次郎 『植物学雑誌』の発刊主唱者の一人』」監修 木原均 篠遠喜人 磯野直秀『近代日本生物学者小伝』所収)。
東京大学理科大学の植物学教室専科に入学したのは、明治18年(1885)のことである。富太郎が、植物学教室への出入りを許された翌年だ。
ドラマの藤丸と同じように、田中も富太郎と親しかったようだ。
富太郎の「狸の巣」という随筆(牧野富太郎『わが植物愛の記』所収)によれば、富太郎は田中の家である千住大橋の酒店によく遊びに行き、一緒に好物のスキヤキ(富太郎はスキヤキが大好物)を食べたという。
この随筆の中で富太郎は田中を、「器用で、なかなかの通人」と称している。
富太郎いわく、ドラマにも登場した『植物学雑誌』の「第一の主唱者」は、田中だという。
「変形菌」という語の創案者
藤丸と同じく、田中も菌類学の研究をした。田中は「変形菌」という語を造りだし、日本初となる変形菌に関する論文を発表している(大場秀章編『植物文化人物事典―江戸から近現代・植物に魅せられた人々』)。
明治22年(1889)には、日本初の菌類学書である『日本菌類図説』を刊行(田中長嶺との共著)した。
同年に帝国大学理科大学を修了し、明治25年(1892)からは、愛知県桑樹萎縮病試験委員となる。
その後、東京養蚕講習所の桑樹萎縮病調査会の事務を行なったが、明治30年(1897)、酵母菌の研究のために、私費でドイツに留学した。
一年余の滞在ののちに帰国したが、明治36年(1903)年に桑樹萎縮病調査会が廃止になってからは、適当な就職口がなかったという。
また妻を亡くし、精神に不調をきたし、明治38年(1905)6月21日、病院で死去している。小林義雄「田中延次郎 『植物学雑誌』の発刊主唱者の一人』」。
田中延次郎は41歳の若さでこの世を去ってしまったが、ドラマの藤丸次郎は、元気に年を重ねた姿を見せてくれた。
藤丸はその後も、佐久間由衣が演じた綾や、志尊淳が演じた竹雄とともに酒を造り、末永く幸せに暮らしたと信じたい。